夏目漱石は明治29年(1896)4月13日に池田ステンション(現・上熊本駅)に降り立った。来年は漱石来熊130年に当たると地元新聞が紹介している。
今でこそ「漱石来熊□□年」などと騒ぎ立てているが、事は漱石の孫娘聟の半藤一利氏の一言が発端になっているらしい。
半藤氏は来熊した際、熊本県知事に会う機会を得たとき、「ラフカディオ・ハーンや夏目漱石を何故大事にしないのか」と聞いたら「加藤清正と宮本武蔵
と阿蘇だけで充分」という答えだったという。
「もうそんな時代ではない」と懇々とといたら、その後「漱石来熊百年」ということで顕彰が始まったという。
時の熊本県知事は福島譲二氏である。良く聞き届けられた。
そんな時期に金峰山の峠の茶屋近くに漱石の「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」の句碑が建てられたが、半藤氏の解説が無断で使われたという。
それから来年で30年ということに成るが、熊本の文化人と称する人たちもこんな為体である。
この話は半藤一利氏と宮崎駿氏の対談「腰抜け愛国談義」の受け売りである。
この本の冒頭部分では両氏の「草枕」談議に花が咲いている。宮崎駿氏は漱石命というような方のようだが、特に「草枕」は特別らしく何回読んだか判
らないと言われる。
昂じてジブリのスタッフ200数十人を引き連れて小天温泉を訪れている。調べてみると2010年11月10日の事らしい。
この本は2013年8月が初版だから、二人の対談の一・二年前の話である。
この事を、熊本大学の教養教育 肥後熊本学ブックレット版に当時熊本大学 教育学部 の跡上史郎准教授が一文としておられる。
https://web-pamphlet.jp/kumamoto-u/2022e5/pageindices/index11.html#page=11
そんなお二人の対談は大変面白くて読んでいて時間が立つのを忘れる。
宮崎駿氏は半藤氏の著書の中で一番好きなのは「漱石先生ぞな、もし」だと言われる。
私も大好きで所蔵しているが、これこそ何度読んだか判らない。半藤氏によって漱石先生の事をいろいろ知った。感謝。
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