津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■イチリンソウを咲かせよう

2025-03-10 11:24:50 | 徒然

 野焼きをした阿蘇山の原野に、緑みどりした蕗の薹がたっている景色がTVで放映されていたが、ふと大船渡の山火事の事を想った。
被害に遭われた皆様には心よりお見舞いを申しあげる。
多くの森が焼けたようだが、暫くすると焼えた下草が肥料となって、鮮やかな緑に生まれ変わるのではないか・・・
長い歴史の中ではこのような事が繰り返されてきたのだろうが、今回は人の手で制圧することは叶わず、降雨という自然の営みにより制圧されたのは皮肉なことであった。

 プランターに花を植えようと半月ほど前から土の「天地返し」をしてきた。その際見覚えのある芽立ちがいくつかあったものを全部抜いておいた。
ところがこの数日の間に覚えのない植物が顔を出し始めた。天地返しによる「埋没種子」が目を出したものと思われる。
これが何なのか興味深く成長を待ちたいと思っている。
今読んでいる半藤一利 vs 宮崎駿の対談集「腰抜け愛国談義」にも、宮崎駿氏の次のような話があり衝撃を受けた。
 宮崎氏は地元に働きかけて、某所を市に買い上げてもらった。「この土地を在来種の植生に変えよう」とボランティアを集めて帰化植物を片っ端から引き抜いた。何度もこれを繰り返すと、世代が違う帰化植物(キクイモ)が芽を出した。又これを引き抜くという作業を繰り返していたら、なんと「イチリンソウ」の大群が芽をだし一斉に花を咲かせたという。

 感動する話ではないか。私は所ジョージがMCを努める「目がテン」が好きで毎週見ているが、まさにメインの舞台となっている里山があのような変化を見せたことも驚きだった。
あのような場所が沢山生まれてくるべきではないか。

熊本でも里山がなくなってしまった。そもそも土を見ることのできる土地さえ見かけなくなった。
近所の広い公園も土がみえる場所は存在はするが、土は踏み固められてコチコチになっている。
こんなところに僅かでも「イチリンソウ」の花畑が出来れば感動間違いなしだと思ったことだ。

 土地は再生する。阿蘇の原野なども春の野焼きがあってこそ、新芽が美しい原野が再生され放牧の牛たちの餌となる。
大船渡の山も自然の力により復活する日は近いことだろう。
自然が失われつつある街中は魅力に乏しい。移転する熊本市役所跡地をみんなたくさんの木を植えた公園にするくらいの大英断をしてもらいたいものだと、つくづく思う。
熊本史談会の会員で残念ながら故人となられたが、ランドスケープデザイナーで「世界のどんぐり博士」といわれた S氏と、そんな話をしたことが懐かしく思い出される。
我家のプランターの一つはいま「スミレ」が沢山花を咲かせている。天地返しをしたプランターには「イチリンソウ」の苗を購入して植えようと思っている。

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■「綿考輯録」の資料集めの指示か?

2025-03-10 06:27:16 | 歴史

 前後の記録文書から明和八年(1771)の三~四月にかけての次のような文書がある。

一御先祖様以來御代々儀御家譜に記録有之事候へ共、猶追々増補被仰付事候、依之御家中先祖付ニ書出被置候外、
 若御武功其外之儀共舊記等は不及申、承及候趣も何分之事ニても書付可被差出候、尤此方二て重疊しらへ申事
 候條、強て眞偽を被相糺ニ不及、承傳之通書付可被差出候、且又急速ニ不及相達、今秋迄被差出候ても不苦候、
 承及等無之面々は其段も承届追て可被相達候、右之趣觸支配方へも可被達候、以上

これは、細川家記(綿考輯録)の編纂に当たっての資料収集を促しているものではなかろうか。
細川家記の成立は安永7年(1778)であるから7年前の話である。
小野武次郎の努力によって『細川之御伝記』『細川家伝』『細川全記』『御伝記』『御家譜』『細川御系譜』などの過去の史料に合せて、各家の先祖附その他の史料から「承傳之通」書きつけて提出するように求めている。「尤此方二て重疊しらへ申事候條、強て眞偽を被相糺ニ不及」とあるが、これらの史料の真偽を武次郎が一々確認作業を進めて、7年後の成果となった。
但しこれとて、現在眺めてみると色々な間違い、錯誤が多々見受けられる。
小野武次郎の努力に水を差すつもりは毛頭ないし、現在においても細川家四代を知る上に於いては欠くべからざる特級史料であることは間違いない。

 

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