津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■俳句鑑賞、二人の「鶏頭」

2022-11-18 16:01:58 | 俳句

                

 散歩の途中にある花畑の一角に、強烈な燃えるような赤い鶏頭の花が「赤々しく」今が盛りと咲いていた。
鶏頭と言えば私はすぐ、加藤楸邨や正岡子規の次の句を思い出す。

           一本の鶏頭燃えて戦終る  加藤楸邨
           鶏頭の十四五本もありぬべし   正岡子規

 二人の句が鶏頭の数の違いもさることながら、楸邨の心象の中にある風景と、子規の淡々とした目の前にある風景の対比も面白い。
前者は、戦いに敗れた虚無感と、もう戦う事はないという安心感のなかで、呆然と立ちすくむ姿が浮かぶ。そんな場面に戦いの事など知らぬ気に、強烈な赤い色の鶏頭がいつもと変わらず咲いていて、自然の営みも穏やかな世界になる様に、人々の生活も苦しいながら平穏な世の中の到来を待つ思いがあふれているように思える。
後者は、場所であったり、時間であったり、作者の想いであったり、情景を考えさせられる。
二人の巨人の作風の違いを越えたこの句が、それぞれに大好きである。

いつも鶏頭を眺めると、何故にこんなに赤々敷く、トサカに似ているのかと思い句を作ってみたいと思うが、これは難題中の難題で私の手には負えない。

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■名句鑑賞「季語なしの名句」

2022-11-16 09:55:13 | 俳句

            田圃から見ゆる谷中の銀杏かな  子規

 子規にこんな句がある事を知った。口に出して読んでみると「銀杏=いちょう」であろう。
眼前に広がる風景の中に大きな銀杏の木が見える。ここでは銀杏の木の状態は伺えない。冬の木立なのか、早緑の葉をつけた頃なのか、黄色の葉にみちた大木なのか、木の周囲に風に落ち葉が舞い厚い黄色いじゅうたんが敷き詰められているのか・・・・
つまりこの句は「無季」俳句である。読む者にその風景を連想するように促しているようにも思える。
田圃も霜柱の立つころなのか、田起こし前の蓮華の花の絨毯の頃なのか、大木を水面に移す田植え前の水が張られた時期なのか、田植えの跡の風にそよぐ稲穂の成長をも連想させる。
秋になって稲穂が黄色に頭を垂れるころ、銀杏も同様黄色に映えて、稲穂と溶け合い競い合っているのかもしれない。
そう考えると壮大な幾つもの組み合わせの季節の移ろいを想像させる。
季語としては、「いちょう=無季」「ぎんなん=秋」とされるが、正岡子規のこの無季の句は大傑作だと思った。

 さてこの銀杏の木は、谷中墓地の大銀杏ではないのだろうかとふと思ったが如何だろうか。
いずれにしても子規が生きた時代、まだ江戸の情景が残されて居たろう。そんなことまで連想させる。

 

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■東京銀座博品館にて上演「きょうも隣に山頭火」

2022-03-03 17:20:39 | 俳句

 さきに「きょうも隣に山頭火」の著者・井上智重先生から、2021・8月初版の同名本をご恵贈たまわった。
今般又、種田山頭火生誕140年を記念して、熊本発の創作音楽劇「きょうも隣に山頭火」が4月9・10日に東京銀座博品館にて上演される旨のご連絡とパンフをお送りいただいた。
山頭火は熊本人と言っても良い。多くの逸話が残されている。故に「熊本発」となされている所以である。
東京周辺の皆様に、足をお運びいただくようご案内申し上げる。

      

        銀座博品館サイト(講演予定) https://www.hakuhinkan.co.jp/theater/?post_type=event

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■最近覚えた俳句

2021-12-21 07:05:24 | 俳句

 「云々」という言葉がある。
文章の最後に「・・・云々」とするが、これは「他人のことばを引いて述べるときに用いる。」とある。
訓は「いう」、音は「うん」だが、「云々」は「うんぬん」であり「うんうん」とは読まない。何故なのか不思議に思うがまだ正解を知らない。
「しかじか」とか「かにもかくにも」とも読むようだが、「うんぬん」で収めるのが妥当なところであろう。

 さて、私は最近歳旦句を調べている中で、芭蕉に「於春春大哉春と云々」というのがあるのを知った。
古文書に親しんでいる私だが、これは読めないなと思い早々に解説を見ると、「ああ春やはる、大いなるかな春とうんぬん」と読んでいる。
句意は「新春が来た、春だ、春だ、春はいいなぁ、」というのである。誠に大らかなことで大いに結構だが、どうやら人様のものを真似をしたものらしい。中国の文學者・米芾(べいふつ)作『孔子賛』に「孔子、孔子、大、哉孔子」というものがある。
「松島やああ松島や松島や」もこの部類かもしれない。

 かって国会答弁で安倍元首相が原稿を丸読みして云々を「でんでん」と読んで物議をかもした。これは論外・・・

            でんでんを「云々かんぬん」言い訳す  津々

 

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■柘榴

2021-11-28 14:16:37 | 俳句

           

散歩の途中三・四個はじけた実をつけた柘榴をみつけた。柘榴を見ると俳句歳時記にある、西東三鬼の句を思い出す。

              露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す

なにやら鬱憤が見て取れるが、どういうシュチエーショなのかよく理解できない。
ググってみると「増殖する俳句歳時記」では次のような説明文がつけてあった。

作者の状況説明。「ワシコフ氏は私の隣人。氏の庭園は私の二階の窓から丸見えである。商売は不明。年齢は五十六、七歳。赤ら顔の肥満した白系露人で、日本の細君が肺病で死んでからは独り暮らしをしている」。「叫びて打ち落す」のだから、食べるためではないだろう。いまで言うストレス発散の一法か。そんなワシコフ氏の奇矯な振る舞いを、二階の窓から無表情で見下ろしている三鬼氏。両者の表情を思い合わせると、なんとなく可笑しい。と同時に、人間の根元的な寂しさがじわりと滲み出てくるような……。

悲しみを放出させるための行為だ。露人ワシコフ氏の深い悲しみとそれを理解した作者の感情がよく表現されている。

 

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■虚子の句

2021-10-21 11:04:21 | 俳句

                      A4491 高浜虚子 俳句 石曳くを- 紙本 肉筆 大正昭和初期

                                                                 

                                    石曳くを 見る人淋し 秋の風  高浜虚子の句だそうである。
   
   秋の風の中、石曳きが行われているのを人々が眺めている。「淋し」と表現されているが「何故?」と思ってしまう。
なにか心に満たされないまま、見物しているのだろうか?  吹く風が寂しさを感じさせるのだろうか?  
大師匠の句とは言え名句の範疇には入らない気がする。名解説をいただきたいものである。

 

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■花鳥諷詠・駄句六句

2020-12-18 08:16:11 | 俳句

              老いが背に四温の陽ざしのめぐみかな

              草野辺に天道虫の紋所

              水仙の好みに向いて咲いており

              吹き溜まりうち重なりし散紅葉

              木洩れ陽の許の野花の名は不知

              草紅葉散歩の道に際立ちて

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■桜落ち葉

2020-12-09 15:17:08 | 俳句

                                                                      一葉のこして 桜落ち葉の裏表   津々

                                                                

  朝散歩の途中、紅葉した桜落ち葉を5・6枚拾ってきました。
赤や黄色や緑・紫と自然が作り出す色の競演と、微妙な虫食いの造詣が何ともいえぬ世界を作り出しています。
コロナ禍の中、散歩から帰ったらほぼ家の中での毎日の生活ですから、デッサンでもするかと思っての事です。
ふと絵の具を買おうかなと考えたりしていますけれども・・・・

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■遠見ヶ鼻

2020-08-28 10:46:02 | 俳句

 高浜虚子は昭和27年11月阿蘇を訪れている。そして半年ほど前に亡くなった熊本の俳人で弟子の宮部寸七翁の墓前に詣で、次の句を呈している。

           君がため遠見ヶ鼻の竜胆を

    ーあなたのために、あなたが眠る阿蘇平野を眼下に見る遠見が鼻から竜胆の花を手折ってきましたよー
     
 遠見ヶ鼻とは現在は大観望と呼ばれるが、熊本の偉人・徳富蘇峰が漢文風に名付けたものだ。
熊大の某教授の御著に、「教養人の恣意的表現に追従して、先祖のもつ庶民的生活感覚を忘れ去ってよいのか」と記されているが、どなたが蘇峰先生におもねいて変更されたのかは知らないが、蘇峰先生の本意ではなかったのかもしれない。

 地名はその地の歴史である。「遠見ヶ鼻」は阿蘇の悠久の歴史の中で、まさに人が生きた時代に、眼下の阿蘇平野を望む外輪部の突端にふさわしい名がつけられていた。
蘇峰と虚子はほぼ同時代を生きた人である。虚子は大観峰という名も知っていたかもしれないが、やはり漢文風の名前は俳句にはそぐわない。

「遠見ヶ鼻」という名前を知る人もだんだん少なくなる事だろう。さみしい話ではあるが、虚子の俳句は永遠のもので語り継がれるであろう。

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■お招きは・・・

2020-02-19 16:00:30 | 俳句

 ある方から親しい仲間の会にご招待いただいた。何か話をしてほしいということである。
少々風邪気味であることをお話したところ、時間はこちらの都合に合わせるという話である。
どんなお仲間ですかと聞くと、町内の早朝掃除をしたり、小中学生の登校時の交通指導をしたり 、時にはつるんでバス旅行をしたりの「じゅくしですたい」と仰る。電話だからよく聞き取れずにいたが、焼酎の飲み仲間らしい。
再度たずねると「焼酎のみの息の臭かつば、じゅくして云うでっしょうが。息は臭そなかばってん酒飲みの会ですな」と仰る。
「じゅくし=熟柿」であることを理解した。「ちっと、ぬくなってからにしまっしょう(少し暖かくなってからにしましょう)」とのお話で逃げられなくなってしまった。
輪に引きずり込まれそうな危険な匂いも感じられるが、出かけてみようかという気にも成っている。 
                                       
               お招きは 熟柿仲間の会ならむ  津々

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■如月のネコ

2020-02-02 13:10:11 | 俳句

  一月生まれの私だが、寒さは苦手である。しかし今年の冬は例年と比べ気温が平均2~3度高かったという。
大きな災害をもたらした昨年の異常な気候を引き継いでいるようで、いやな感じがする。

朝の散歩でも手袋やネックウォーマーを必要としない日が随分あった。
明後日は立春だというのに、ここ数日遅ればせながら冬の気温にさがってきた。一週間ばかりは「寒い冬」になりそうだが、今日は太陽もサン/\で散歩も気持ちが良い。

 今日は最低気温が1・2度といったところか。日曜日とあって少々朝寝坊したこともあって散歩の時間も少し押してしまった。
歩いていると目の前をネコが歩いている。首にバンダナ状のものがまかれているから野良猫ではなさそうだ。
1、2mほどのブロック塀の側まで来ると、見事に塀の上にジャンプして見せた。
私が通り過ぎるのを首を回しながら見送ってくれる。頭をなぜようとしたら逃げられてしまった。
歩みを進めながら、ふとどなたかに「塀の上を歩くネコ」の句があったな~と思い至ったが、肝心の句は浮かんでこない。

 大いに気になって、帰宅してこれはと思う本を手あたり次第引っ張り出してみてみるが、中々行きあたらない。
約一時間、徒労に終わるかな~と思っていたところでようやく見つけ出した。
東京やなぎ句会編の「五・七・五、句宴四十年」に、落語家入船亭扇橋が「友を偲ぶ」という項で紹介している。
直木賞作家の故・神吉拓郎氏の句であった。

         きさらぎの 大猫塀をわたりけり

なんと季語が「きさらぎ」、まさに今日の風景にぴったりではないか・・・
句自体は思い出せなかったが、心に残っていたのだろう。神吉氏は猫を愛してやまなかったと解説があった。

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■すまじきものは宮仕え

2020-01-15 08:32:52 | 俳句

  最近一茶に づぶ濡れの大名を見る炬燵かな という句があることを知った。
ひねくれものの一茶の事だから「ご苦労なこったい」とでも口走ったかもしれない。
ウイキペディアで確認すると掲載されていて「北国街道」と記してある。前田家ともあるが、いろんな大名が通ったことであろう。
ただ、炬燵から見ているというのだから、まさに季節は冬だから参勤とか帰国ではないのではないか?
よんどころないお出かけでの出来事かもしれない。そしてまじかな距離ではなく、遠景であるように思える。

殿さまは駕籠の中で問題ないが、寒い時期の雨の中での御供の衆は大いにつらいことであろう。
この句を「権威に対する諧謔」とこ難しい解説が見られるが、「すまじきものは宮仕え」と自由人一茶殿は考えていること間違いない。

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■性懲りもなく、俳句エッセーを読む

2019-11-04 17:36:45 | 俳句

本の整理をしていたら、俳句に関する書籍が結構あったのには驚いた。
大先生のお説教めいた本はどうも苦手だが、洒脱なエッセー風の本がお気に入りである。
又、こんな本を見つけて注文した。秋の夜長の読書にはもってこいだと思っている。イギリスとフランス、狙ったわけではありませんが・・・

                    

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■熱い藤崎台球場

2019-07-24 09:08:43 | 俳句

 一昨日は、大雨のせいで近くの健軍川(水無川)は水位が2.5メートル程も上がり、人工的にいくつもつくられている段差の為に、川面が踊り狂いすさまじい勢いであった。
昨日今日、静かな流れに戻り、あと二・三日もすればまた水無川になることだろう。                
そしてどうやら梅雨明けもそろそろではないのか、朝から蝉しぐれがものすごい。高校球児たちはこの炎天下、甲子園を目指して頑張っている。
                   球音の消え行く先や蝉しぐれ  津々

多分球児たちには、蝉しぐれも耳には入らないのかもしれない。
明日は九州学院:熊本工業高校の対戦である。さて栄冠はどちらが手にするのか・・・熱い夏がつづく。

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■ピアノと山法師

2019-07-23 17:42:18 | 俳句

                 ピアノ弾くは佳人か庭の山法師  津々

 私は「山法師」という木が大好きで、あちこち歩き廻わるなかであるお宅の庭に見事な枝ぶりの木を見つけた。
そして中からピアノの音が聞こえる。
弾いている人が男性なのか女性なのか、お年は幾つなのかもわからないまま、かってに佳人としてしまった。
この年になっての悔やみ事は、私はまったく楽器が扱えないことである。
何かできていれば楽しかったろうなとつくづく思い、人様のお宅でピアノの音などが聞こえると、なんと風雅な事かと感じ入ってしまう。
子供三人は幼かったころ、日曜日になると私がいろいろレコードをかけていたこともあって、中学・高校・大学と楽器に親しんでいる。
奥方も小さいときピアノの練習をしていたというから、私一人が「へのけ者」である。
最近は肺活量が落ちて、口笛も吹けないし歌を歌うこともままならない。
そんなことを思いながらの駄句である。お粗末さま・・・

 

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