大名証人制度は、慶長五年(1600)から寛文五年(1665)までの長きにわたっている。その廃止は「殉死の禁止」とともに決定された。「江戸へ証人差し上げ候衆之・・・」によると、細川家家臣で江戸へ証人を差し出すべき家は、以下の十家になっている。
細川刑部 一門 25,000石
長岡佐渡守(松井) 家老 30,000石
有吉頼母佐 家老 18,500石
長岡監物(米田) 家老 15,000石
長岡勘解由(沼田) 家老 10,000石
沢村宇右衛門 家老 6,000石
小笠原備前守 家老 6,000石
清田石見守 備頭 3,035石
田中左兵衛 城代 2,150石
平野弥次右衛門 5,000石
まさに錚々たる面々ではある。この一覧は慶安期のものらしいので、65年の歴史の中では若干の動きもあったのだろう。ここにも「刑部」の名前があるのが痛々しい。
細川刑部 一門 25,000石
長岡佐渡守(松井) 家老 30,000石
有吉頼母佐 家老 18,500石
長岡監物(米田) 家老 15,000石
長岡勘解由(沼田) 家老 10,000石
沢村宇右衛門 家老 6,000石
小笠原備前守 家老 6,000石
清田石見守 備頭 3,035石
田中左兵衛 城代 2,150石
平野弥次右衛門 5,000石
まさに錚々たる面々ではある。この一覧は慶安期のものらしいので、65年の歴史の中では若干の動きもあったのだろう。ここにも「刑部」の名前があるのが痛々しい。