津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

加藤清正家臣貴田孫兵衛顕彰展

2007-05-09 21:34:12 | 歴史
 タイトルの「展覧会」が催されることを新聞で知り、会場が開くのを待ちかねて飛び込んだ。孫兵衛のご子孫の方々が、十年にわたって追跡された足跡である。会場にお出でになった貴田久子様のお話からは、そのご苦労の跡が偲ばれた。

 貴田孫兵衛は加藤清正十将として高名である。その事は誰でも承知していることだが、ご子孫の十年にわたる無からの「孫兵衛様」追跡の旅は、驚くべき結果を導き出して居られた。
    1、孫兵衛の初名が毛谷村六助であること
    1、大分県中津市山国町槻木(英彦山麓)に貴田神社が存在すること
    1、佐賀県唐津市鎮西町            同上
    1、地元の方々に愛され、いまだ手厚く顕彰され続けていること
    1、毛谷村六助を主人公とする歌舞伎演目「彦山権現誓助剣」がある
         こと
    1、太閤秀吉の御前で37人抜きの相撲の試合をしたこと
        其の故をもって加藤清正に仕えたこと

 まだまだあって書ききれないが、驚き入ってしまったし、そのご努力に敬意を表したい。そして、わが「新肥後細川藩侍帳」に追記をしなければ成らないと考えている。

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする