迦羅奢夫人の最後を伝えるいわゆる「霜女覚書」と、今ひとつメジャーではない「小須賀覚書」では随分趣を異にしている。最大の違いは介錯に当たったのが、前者は小笠原少齊、後者はなんと河喜多(川北)石見である。忠隆夫人も前者は無断で逃げ退いたとあるが、後者は迦羅奢によって逃げさせられている。其の他にも色々違いが見受けられて、本当は如何と地下の迦羅奢夫人に呼びかけている。
実は小須賀覚書を皆様にご紹介し様と思い、漸くタイピングを終えた。ご覧になって皆様は如何に思われるだろうか・・・近々UPしようと思っている。
実は小須賀覚書を皆様にご紹介し様と思い、漸くタイピングを終えた。ご覧になって皆様は如何に思われるだろうか・・・近々UPしようと思っている。