細川家家臣N家の祖・安右衛門は、加藤主計頭(清正)に天正十七年、芦北郡佐敷に於いて新知4,600石で召抱えられている。高麗陳(陣)に於いて働き「赤熊之棒之立物」を頂戴したり「南無妙法連花経(ママ)」の昇を託されたりしている。慶長八年には矢部庄の内1,022石余の加増を受けた。その時分の与力の名前が列記されている。
五百石 与力頭 長島掃部
三百五十石 嶋沢市右衛門
同 中小路三右衛門
二百五十石 加賀山次郎作
百五十石 早水正左衛門
同 原 源右衛門
百弐拾石 岡 兵左衛門
百五十石 ■藤三五兵衛
百石 八木庄左衛門
同 小野田久左衛門
二百五十石 横田勘左衛門
三百石 豊前領■ 長尾又吉郎
三百五十石 田邊又助 以上十三人
先祖附にこの様な情報が記載されるのは大変珍しい・
さてこのN氏、加藤家(寛永九年)改易後牢人し、寛永十年堀丹後守・同式部少輔の肝煎りで細川家に五百石で召し出された。その堀氏、後の椎谷藩の藩祖・直之、直景であろうと推測しているが、どういう係わりがあったのだろうか。
五百石 与力頭 長島掃部
三百五十石 嶋沢市右衛門
同 中小路三右衛門
二百五十石 加賀山次郎作
百五十石 早水正左衛門
同 原 源右衛門
百弐拾石 岡 兵左衛門
百五十石 ■藤三五兵衛
百石 八木庄左衛門
同 小野田久左衛門
二百五十石 横田勘左衛門
三百石 豊前領■ 長尾又吉郎
三百五十石 田邊又助 以上十三人
先祖附にこの様な情報が記載されるのは大変珍しい・
さてこのN氏、加藤家(寛永九年)改易後牢人し、寛永十年堀丹後守・同式部少輔の肝煎りで細川家に五百石で召し出された。その堀氏、後の椎谷藩の藩祖・直之、直景であろうと推測しているが、どういう係わりがあったのだろうか。