「細川家文書・御印之物」に寛永十九年三月五日付奉行宛て文書として、次のようなものが有る。「刑部卿まご成瀬弥次右衛門尉・成瀬元馬此両人ニ銀子弐拾枚遣候間堀平左衛門尉ニ可相渡也」というもので、「fosacawarocu」という光尚のローマ字印が押されたものである。ここに登場する成瀬氏なる人がよく分からない。刑部家系図に登場しない人の消息が、この様な文書で浮かび上がってくる。
有禄士族基本帳の書き込みが終了した。今はただほっとした気持ちだけだ。何時からはじめたのか、もう忘れてしまったが、いささか中弛みで随分遅くなってしまった。他にも「無禄士族基本帳」等というものがあって、これをどうし様かと思っているのだが、まあ、しばらくは休憩とさせていただく事にしたい。
実は、原本に齟齬がみえたり、あるべきはずの名前が数多く脱落していたりしている。除族となったり、熊本を離れられたりした方についても、それはそれとして全部を掲載した。さて総ての数が何名になったのか、今は数える気にもならない。午前九時、ビールで乾杯したい気分なのだが・・・・
実は、原本に齟齬がみえたり、あるべきはずの名前が数多く脱落していたりしている。除族となったり、熊本を離れられたりした方についても、それはそれとして全部を掲載した。さて総ての数が何名になったのか、今は数える気にもならない。午前九時、ビールで乾杯したい気分なのだが・・・・