先にご紹介した徳富蘆花の「井出ン口」に登場する刑場の絵図である。熊本府中からは白川を挟んでの対岸、現・熊本大学付属病院裏手の白川左岸の川原だと思われる。
白川上流で分水された井出が再び白川に戻される場所が「井出ン口」である。絵図の左手の水路が白川(下方)に注ぐ場所の右手に刑場が設けられている。
二重の柵に囲まれた刑場の奥に刑法方の役人が入る小屋があり下役の人が左右に配されている。
添付されている文書によるとかっては役人は立って居たらしい。床机が準備されたのは天保あたりと思われる。
正面の位置に引き据えられ、絵図右下の場所で刎首された。
対岸の西岸寺の住職が川を挟んで引導を渡したとされる。見物の人で賑わったことであろう。
森鴎外の小説「阿部一族」に登場する、弥一右衛門の嫡子権兵衛もこの場所で刎首され、そのごしばらくは晒し首となった。
目をそむけるわけにはいかぬ、歴史の真実がここにある。
徳富蘆花の通学路というのは上方に書かれている道であろう。