「吉良殿、お痛み軽く」西本願寺が上野介聴取 忠臣蔵記録、本願寺史料研究所で見つかる (2016.12.3 産経新聞から)
刃傷事件直後の吉良上野介の回復具合を記した西本願寺の留帳。
本願寺史料研究所(京都市下京区)は2日、「忠臣蔵」で知られる「赤穂事件」について、西本願寺(同区)が事件後の吉良上野介義央(きら・こうずけのすけよしなか)の容体を「お痛みが軽く」などと把握し、直接“事情聴取”もしていたことを示す記録など6点が見つかったと発表した。記録によると、西本願寺は事件前後、東京との間で上野介関連の手紙を頻繁にやり取りしており、江戸を揺るがす大事件に際し、情報収集を活発化させていた様子がうかがえる。6点は今年3~5月に同研究所で見つかった。5点は書状で、1点が『江戸江遣書状留帳』(えどへつかわすしょじょうのとどめちょう)という、西本願寺と築地御坊(現・築地本願寺、東京)でやり取りした手紙の内容を記録したものだった。
元禄14(1701)年3月14日、上野介が江戸城で赤穂藩藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に切りつけられたが、記録によると、事件から7日後の同年3月21日付の手紙では、「吉良上野介に対し浅野内匠頭、三月十四日不慮の事件があった」と、事件の報告を受けていたことが記されていた。これが、4月5日付の手紙では「浅野内匠頭殿の乱心の様子を承りたい」とされ、事件の受け止め方が変化していた。
同じ手紙の中には「吉良殿、お痛みも軽く、食事も相変わることがない由、ご注進を受けた」とも記され、上野介の順調な回復ぶりを把握していた。