昨年ヤフオクで落とした数々の品を遅ればせながら内容の確認を始めた。
この書状等は差出人と宛名を確認したままで、其の後箱の底にさびしく取置かれていた。
詳しい読み下しは完了していないが、志水才助が、薪取りの男を無礼討ちにした事が述べられている。
寛文九年閏十月廿四日付、差出人は山田淳助、宛名は松岡久助とある。
志水才助は当時立田村山口に在宅していたらしく、山田は見廻りで志水宅を訪ね偶然事件を垣間見たらしい。
志水才助といえば、宝暦の改革に携わり後に大奉行となった人物(6代)があるが、時代が合わない。
2代目金右衛門が寛文四年六月・御侍帳に「長岡監物組 二百石」と登場しているから、この人物であろうか。
この事件については私は全く知らなかった。「熊本藩年表稿」や「肥後先哲偉蹟」でもふれられていない。事件に関しては初出史料かもしれない。
GW中にくわしく読み下しをしてまたご紹介したいと考えている。
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