津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「堀内傳右衛門覺書」‐(26)

2024-11-28 06:55:56 | 堀内傳右衛門覺書

(117)
一十七人衆切腹相濟申候場所は、芝(白金)御屋敷大書院御舞臺脇、御手水石の向にて、御小書院より御出被遊、御唐紙に御立被遊御覧
 候、扨後に御座敷清め申ため、眞藏院へ御奉行所より申參候へとも、不及其儀候、尤達 御聽候得は夫に及事は不被思召上候、其儘召置
 候へ、十七人の勇士は、御屋敷の能守神と被思召上候との御意にて候、草場の陰にても、何れも難有か被存候と感涙を流さぬ者無之候、
 殘る御三人樣にては、清め申候由、伯耆守樣などは、畳の表かへ、腰張唐紙にて御張替被成たるとの儀に候、大目附にて候へは、定て各
 別の思召も可有之候、其以後江戸中も沙汰廣く、奉譽たると承及候事
(118)
一夜に入候て、忠左衛門殿、藤兵衛殿、皆共へ被申候は、十七人衆の衣類はな紙袋、何そ書付たる物なと、夫々致吟味改候て、若不審成物
 も御座候はゞ、此方へ見せ候へとの事に候、林兵助は、泉岳寺へ參候、村井源兵衛・吉弘嘉左衛門・八木市太夫・拙者抔改、夫々に長持
 に入泉岳寺へ遣申候事
(119)
一内蔵之助著込、留理紺の段子、小手も同前、股引くさり入、源吾右衛門・十郎左衛門共に同樣にて、十郎左衛門衣類の内に、布の香袋の
 やうなる物有之候、匂ひなともなく、いな事と存候處に、後に清休寺の住持に咄申候へは、夫は血脈にて可有之候、存生の中、遠方へや
 かて參候、何方にて果可申も知不申迚、被致所望候事
(120)
一十内著込は、具足の樣に、くさり布の兩面、中かたのどんす、紋を鼠色に染、總體ケサンくさりに七ッ、殊の外重く、中男より大く、力
 もつよく有之たると承申候事
(121)
一いつれも不殘白布細くくけ、内にはくさり入たる手縧にて、衣類を結候て、銘々名札付居申候事
(122)
一甲頭布上を黑革にて、白革にて縁を取、■(革に周)付居候、内蔵之助は、表に良雄と名乘有之候、忍の緒は、大かた紅のしらへにて有
 之候事
(123)
一右念を入改候樣にとの事に候へとも、及落涙、委しく見え不申候、いつれも必死の覺悟故、むさとしたる物を入置可被申樣も無之候、浴
 衣十七有之候
   但右之通仕廻、御夜食頂戴仕候へとも、食氣も無之、湯漬なといたし給、九ッ過町宅へ歸申候
(124)
一二月六日上御屋敷へ御侍中不殘被召寄御直に被仰候は、今度御預りに付、何れも骨を折候、此屋敷に居候者共も、御番等も繁く同前に
 候、扨十七人の勇士共事は、定て 上にも色々と被思召候故、五十日程間も有之候、か樣に被仰聞候も何とやらん上を御憚被成候事、い
 かゞに被思召上候へ共、定て權現樣以來之御仕置と被思召切腹被仰付たると被思召候、尤他所の者も尋申候節、不存と可申樣は無之候へ
 とも、揃たる勇士共に思召候へば、善悪可有之とも不被思召上候、能々了簡仕候て咄なとも可仕との御意にて候、いか樣勇士共と、三度
 まて御意被遊候儀、誠皆共迄も難有草場の陰にても
さこそ難有おもひ可被申と、及落涙候事
(124)
一二月九日、江村節齋被參候而被申候は、扨今朝も於 御前御相伴被仰付候、一七日は御精進被遊由、御意被遊候は、三人の老人共、定て
 此咄計にて殘念かり可申候、いかゞと御意被遊候に付、申上候は晝夜共寄合、此咄より外無御座候と申上候へは、傳右衛門別て心安いた
 し候もの多く、たぶん寺參なと可致と被思召上候、今程は傳右衛門志にて參詣候ても、泉岳寺の出家共御名代と可奉存候、左樣之沙汰有
 之候ては、 公儀へ對し不可然儀に被思召上候間、具合候樣にとの儀に付、可申聞ために參候と被申候、拙者申候は扨は左樣に被思召上
 候哉奉畏候、明十日は一七日に相當申候間、何とそ駕にて成ともと存居候處に、今日御意の趣を承候事、誠に仕合成儀と申候へは、此御
 意の咄は、兵助・源兵衛にも申聞ましく候、傳右衛門はと計ぎょいにて候間、其心得いたし申候へと被申候事、右の趣はおもひ出し/\
 調候故、前後は可有之候へ斗mお、譯は相違無之候、尤覺悟仕候ての義に候へは、他家の御屋敷并寺又は町家共に、十七人衆存生之内、
 通し申所多く候、じゅう公義御預り被成候衆中の事故、拙者あの衆に懇にいたしたる事、萬一後御吟味に逢可申儀も有之、太守様御越度
 に成られさる樣にと、専ら心を付、若もの事も候はゞ指出可申と、如此の口上書を調、致懐中居申候、
 紙面左之通
   越中守儀、兼而奉重 公義、毎度參勤之節は、國許にて、御當地江發足仕而は、當屋敷に而、上下の侍共不殘呼出、直に申聞候
   は、 公義御代々御重恩、就中越中守は幼少より大國を御預被置、家中之者上下共に妻子相育申候、 公義之御恩と奉存候樣に、
   道中船中在江戸共に、御法度之趣堅相守候樣に、常々申付候故、今度御預り之儀は、別而入念候樣にと、家老共に度々申渡候、然
   處に私心底には、無雙の忠臣共と奉存、何れも存生之内、母兄弟息災成る事知せ申度、在所承候へは、中々不申聞候故、越中守爲
   にならぬ儀は、可被申聞樣も無之候、私之爲いかゞと被存候は、毛頭遠慮被仕間敷候、日本の大小神祇を奉懸身命を惜み不申承度
   と、切々申候故、何も歡委細咄被申、承候而、いかにも通し申候、御吟味にて、唯今罷出候へと、兼て越中守念を入申儀を背き申
   たると奉存候へは、私儀は不忠罷成候、此段不及是非奉存候、此外別に申上候儀、少も無御座候、以上
 右之通申上、果可申覺悟にて候、今度喜左衛門御使に被參、逗留被仕候へ共、喜左衛門は、御役勤居被申候故、右之趣委細に可申樣も
 無之候、荒増は二十一日に立申候に付、初て申聞候而、下著之上咄可被申候事
   日の本の名まで揚ぬる武士の緒やとはいはん四十六人              おかしく候
    未二月二十九日                            堀内傳右衛門
      堀内勝助殿へ

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