鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.79『旧約聖書はイエスを証言する本』(5章)

2005年07月25日 | ヨハネ伝解読

ヨハネ伝、5章、さらに進みます。
今回は、次の聖句です。

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=聖句=
  「あなた方(ユダヤ教の僧侶たち)は、聖書(旧約聖書)のなかに、永遠の命があると思って調べています。
だが、この聖書はわたし(イエス)についてあかしするものなのです」(5章39節)
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 36節で「私のなすわざが、私の裁きが創造主からのものであることを立証している」
という旨のことをいった後で、イエスは次のように話を展開します。

 「諸君(ユダヤ教の僧侶たち)は創主が(この世に)つかわしたもの(イエス)を信じない。
だから、創主からの言葉は、諸君の方の心に留まらないのだ」(38節)と。

 この背景には、「天のものと世のものとは絶対的に対立・敵対関係にある」という聖書の大前提が踏まえられています。
天は創主の支配下にあり、この世は悪魔の支配下にあるという把握です。
そういう「世」に、イエスは天の論理を持ってきて、注入し始めたというのが聖書の図式なのです。

 悪魔は、天の論理が見えないように「世」の人々に目隠しをしています。
世にドップリと漬かった人々には、それを自覚することすら出来ません。

 だから、人々の意識は、基本的に悪魔ベースの意識で満ちていることになります。
また悪魔には、創主のやることなすことにはすべて敵対するという本能が成立してしまっています。


                    


 そこで、イエスはこういうのです。

~~そういう意識で占められている人の意識には、創主からのメッセージ、創主の意識を込めた言葉は留まらないのだ。
すぐに、嫌悪して意識から締め出してしまうことになる、潜在意識がそういう働きをするのだ~~と。


                    


<旧約聖書はわたしを証言している本なのだ>

 イエスはこれをユダヤ教の僧侶たちに向かって言っています。

 僧侶は、当時のエリートです。
彼らとしては「何を言っているのだ。我々は(旧約)聖書を教典とし、創主について長年学び続けて来ている。
こんな若造に何がわかるのだ」と思うほかありません。

 ところがイエスは、少しもひるまず、こうカマすのです。

 「あなたがたは、(旧約)聖書の中に永遠のいのちがあると思って調べている。
だが、この聖書は私について証言している本なのだ」(39節)と。

 ~~~出た~!。キリスト教では、旧約聖書はどう解読すべきであるかの答えがここにあります。
だから5:39の聖句は、とても大切な聖句なのです。

 ここで「永遠のいのち」というのは、イエスを通してこの世にもたらされるもの、という、ことになっています。
後の11章で「私はよみがえりです、いのちです・・・」(11章25節)というイエスの言葉はそれを言っています。

 また有名な

 「私が道であり、真理であり、いのちである」(14章6節)

                     ~~もそうです。


                    

<「救い主」も私のことだ>

 イエスの思想はこうです。

~~~旧約聖書はわたくし、イエスについて述べたものなのだ。
そこで到来すると預言されている「救い主」とは私のことなのだ。

~~~その救いとは、ユダヤ人を他国への隷属状態から救うという意味ではない。
かつてダビデが建てたような独立の王国を、再建するという意味ではない。
人の霊を罪ある状態から永遠に救うという意味だ。

~~~これが本当の、根本的な救いなのだ。罪の奴隷となっている状態から、解放するという意味なのだ。

~~~けれども、こういう論理はあなた方の心には留まらない。
なぜなら、これは天からの論理、創主の論理だからだ。
悪魔の意識に満ちている君たちの心は、締め出すことしかしないのだよ。


                    


コメント (1)
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