写真を見せながらゴスペル事情を紹介してきました。
しかし、こういうのは饅頭で言えば外側の皮とその内側に少しある肉にあたるものです。アンコではない。
福音情報のアンコはイエスです。イエスがどういう存在であり、どういう言葉を語ったかがアンコなのです。しばらく皮と肉の部分をしていましたので、ここで「ヨハネ伝解読」にもどりましょう。
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福音事情説明に入るところまでは、春平太が「聖書の中の聖書」と考える11章25~6節を解読してきました。今回からはその次に入りましょう。
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=聖句=
「マリアはイエスのおられるところに行ってお目にかかり、足下にひれ伏して言った『主よ、もしあなたがここにいて下さったならば、私の兄弟は死ななかったでしょうに』」(11章32節)
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「私はよみがえりです、いのちです。私を信じるものはたとえ死んでも生きるのです・・・」という言葉を発した後、イエスは死んだラザロの姉妹、マルタに言います。
「あなたはこの私の言葉を信じるか?」
マルタに、この言葉の持つ神学的な構造、意味合いはわからなかったでしょう。彼女はこう答えます。
「主よ、信じます。あなたがこの世に来たるべきキリスト(救い主)であり、創主の御子であることを」(27節)と。
イエスの言ってることはよくわからない。が、もうとにかく、あなた様が創主の御子であること、自分たちの救い主であることは信じますよ、というのです。
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イエスは、マルタの姉妹マリアを呼べ、と言います。マルタは家に帰ってマリアにそのことをそっと告げます。イエスはまだ、彼女たちの村の外までしかきていないのです。
マリアは急いでイエスのもとに向かいます。彼女の家に来て慰めていた人々もぞろぞろついていきます。マリアは今度は、ラザロが葬られている墓場に行って泣くと思ったのです。そこでも慰めよう、と。
ところが、マリアは郊外にいるイエスのもとに行きました。そして足下にひれ伏して
「先生、あなたがいてくださったら癒してくださったのに・・・」(32節)
~~と言って泣き崩れるのです。ついてきたユダヤ人たちもみな泣きました。
イエスは、それを見て、激しく心を動かされた、とヨハネは記しています(33節)。なぜでしょうか? イエスでも心が動揺することがあるとは・・・。