鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.150『マリア、まだわからないのか!』(11章)

2006年06月04日 | ヨハネ伝解読


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=聖句=
 「イエスは彼女が泣き、また、彼女と一緒に来たユダヤ人たちが泣いているのをごらんになった。それは彼の心に触れるところがあり、彼の心は深く動き、そして当惑された」(11章33節)
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前回に述べましたように、マリアはエスの足下にひれ伏して、「先生さえいてくださったなら・・・」と泣き崩れました(33節)。

 ラザロを生き返らす前に、イエスが心を動かしたという状況を、ヨハネは一度ならず記録しています。そのはじめたこの聖句に記された場面です。

 この時のイエスの心理を「心は深く動き、そして当惑した(deeply moved in spirit, and troubled)」とヨハネは記録しています。

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 第二回目は、イエスが「ラザロをどこにおいているのか?」とたずねたのに対し、マリアについて来た人々がこう答えたときです。

 「主よ、来てみてやって下さい」 

 この時、「イエスは涙を流された(Jesus wept)」、とヨハネは記しています(35節)。そして、それを見た人々が「ああ、何とラザロを愛しておられたことか・・・」と言った、とも記録しています。

 第三回目は、すぐその次です。
 他のユダヤ人たちは続いて、「盲目の目を開けたこの方でも、ラザロを死なせないように出来なかったのか・・・」と言っています。すると~~

 「イエスはそれ故にまた深く心の内を動かされて(Jesus therefore again being deeply moved within)」

   ~~お墓に向かって歩き出した、とヨハネは記しています。

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 イエスはどうしてこう何度も心を動かされたのでしょうか?
イエスがラザロが死んでしまったのを悲しまれた、というのは答えになりません。だって、イエスにとっては彼を生き返らすことは、すでに決まっているのですからね。この村の近くに来る前に、「ラザロを起こしに行く」とイエスはすでに宣言してましたからね(11節)。

 イエスは、ラザロの死を悲しむ必要などないのです。なのに、心を動揺させられた。どういうことでしょうか。

 春平太は、もうほとんどお手上げです。ここの解読は、ほとんど自信が湧いてきません。そういう状態であることを断った上で、少しだけやってみましょう。

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 第一の場面では、「当惑された(troubled)」が、気になります。イエスはその前に、マルタに「私はよみがえりでありいのちである」と宣言していますね(25節)。それは、私は死人にもいのちを再供給して生き返らすことが出来る存在なのだ、と宣言したことでもあるのではないでしょうか?

 なのに、そのイエスに向かって、マリアは「先生がいて下さったら死ななかったのに・・・」と泣き崩れます。それは、イエスが今ラザロを生き返らせられる存在であるとは、マリアは全く信じていないことを明示しているのではないでしょうか。

 あれだけ私を愛し、私の話にうなずき、私が来るたびに心からもてなしてくれたこの兄弟姉妹たちだ。なのにまだ、私をわかっていなかったのだ。イエスは、それを目のあたりにして当惑したのではないでしょうか。

コメント (5)
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