鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.154『都の近郊で、死を確認させた上で生き返らせる』(11章)

2006年06月09日 | ヨハネ伝解読
                


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=聖句=
 「マリアのところに来て、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた」(11章45節)
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 イエスがラザロを生き返らせたことの持つ、神学的な意味はヨハネにはある程度わかりつつあったと思われます。この事件によって彼は「この世界には、死に打ち勝つ力が存在する」ということを確信しました。

 けれども、他の人々には、そんなことはわからなかったでしょう。彼らの関心は、事件として驚嘆すべきものであることと、その話題性にあったと思われます。パリサイ派ユダヤ教の僧侶たちの意識にも、神学的な認識意識はありませんでしした。彼らは、この事件がどういう社会的結果をもたらすかに思いを巡らしました。


                


 「困ったなあ・・・」これが彼らの気持ちだったでしょう。
 イエスは他でも死んだ人を生き返らせています。しかし、このラザロの一件が与えた衝撃は別格でした。なによりも、これはエルサレムの都から2~3キロしか離れていないところで起きた事件でした。うわさは都の全土に速やかに駆け上り拡散し始めました。

 この再生劇は死んで四日たった後に起こされました。イエスはラザロの病気を聞いても動かなかった。あえて、聞いた地点に滞在し続けましたよね。こうして、死後の時間を経過させています。

 これがまた効いたのではないでしょうか。死んですぐに生き返らせたのなら「その人は完全には死んでいないのではないか、仮死状態だったのでは・・・」という漠然とした意識を人間は持つものです。

 目の前で見ている弟子たちなどの人々はそうでもないかも知れませんが、うわさで聞く人がそうでしょう。そして評判というものは、そういう大多数者によって形成されるのです。


                


 死後四日という時間は、人々の「まさか・・・」という意識を大きく消し去りました。「死んで四日たったのを生き返らせたんだって!」ということになりますれば、これはもう決定的なのであります。もうとても人間業に思えない・・・。

 また、マリア、マルタ、ラザロという兄弟姉妹の家庭は、経済的には結構、裕福な家であったようにも思われます。イエスをもてなしたりしていますから。裕福な家には多くの人々が出入りいたします。ラザロの死に際しても。多くの人々が姉妹を慰めにやってきていしたよね。

 たくさんの人が集合していました。イエスは奇跡を、彼らみんなが目にすることの出来る墓場で行いました。マルタたちの家のなかや、その一室で行ったのではない。ラザロを蘇らせる様を直接目にする人々が、今回は格段に多かったのです。

 この多くの人々によって、うわさはパァーッと一気に広がりました。死者を生き返らせる今回のイエスの奇跡は、特別だったのです。





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