
中高生が、相次いで「いじめ」で自殺するようになりました。
根底原因は、自分の存在価値を強く感じられないところにあります。
無常感の強い我が国では、「どうせ死んでおしまい」という気持が心の底にあって、それが自分の存在価値感を常時針で刺しているのです。
(どうせ死んでおしまいでしょ、存在価値なんてないよ・・・と)
それは真理であって、どう変えることも出来ないと思っている。
これには対抗する言葉が必要です。
しかもよほど強くないと、歴史的に染みついた無常感に打ち勝てません。
で、日本の中高生は、自己価値感の欠乏にあえいでいます。
日本人全体がそうです。
大人も年間3万人を超える人が自殺している世界で異例の自殺大国です。
が、中高生はナイーブですから無常感にまともに襲われています。
そこに「うざい」「汚い」「不潔」とかいう言葉を学校生活の場で投げ続けられたらどうなりますか。
自己価値感、自価意識に極度に欠乏していきます。
自分の存在価値がないという意識に追い込まれたら、「存在を絶とうかなあ・・」という意識が芽生えます。
芽生えるとそれが当人を引き込みます。

<自己防衛のために>
日本人のほとんどに言えることですが、中高生も自価意識(自分が存在価値ある、という意識)希薄症候群から逃れる方法を、一つしか知りません。
それは「他者を自分より価値のないものと思う」という方法です。
そういう比較によって手っ取り早く、自価感希薄症から心理的に逃れようとするのです。
で、誰かそう思いやすい対象を探す。自分より劣っている奴を探します。それを「ダメな奴、ダメだ、ダメだ」という言葉を投げかけていじめます。そうやって自分の存在価値感を守ろうとしている。心理構造は透けて見えるものです。
最初は軽い気持で仲間に加わっても、やり始めると、どんどんのめり込んでいくことになります。
いじめている方も、自己価値感を得ようとして必死なのですからね。
で、始めると、どんどん何者かに背中を押されていきます。
そしてこれが同時に他者の最も弱いところを針で刺し、苦しめるものとなっているんです。
恐ろしいことですね。

<表層的な対処策>
他者と比較する方法は、表層的な対処法であって、最も効果の少ないものです。
こういう対処療法では、自らの希薄症の打開は出来ないのです。
他者を生け贄にして、逃げ回っているだけ。
最近、教師が2時間ほど説教したら、簡単に自殺した野球部員の中学生が出ましたよね。
クラスメートに、簡単な遺書など見せて、「俺は死ぬからな」と軽く言っていたといいます。
こういう風に、自殺が波及していきます。
彼の状態にまででいかないにせよ、そのすぐ近い心理水準のところに多数の中高生がいるのです。そして彼等は、簡単に自殺を図るか、あるいは、「虐め屋になるか」どちらかの予備軍です。
ともあれこういう事例が出たいま、ほとんどの学校も教師も、子供に「腫れ物に触るよう」に接することになるでしょう。死なれたんじゃたまらないもんね。
もともと教師にある「事なかれ主義」がそういう行動を取らせるでしょう。

<「わがまま、横暴」気質は恐ろしいもの>
そしてこのことは、すごい勢いで子供をダメにしていくでしょう。
その仕組みは、「天使が軍団として作られた理由(Vol.10)」のところで述べました。
多くの中高生は、これによって、わがままで、横暴に育てられるでしょう。
そして、一旦なった状態で成人したら、もう、大きな病気で肉体を苦しめられるしか、矯正の道はない。
このことも「Vol.10」のところで述べました。
いま日本でこれが始まりました。
これ、このままでは、国を滅ぼしますよ。

若い娘を、監禁して、自分を王様、ご主人様と呼ばせ、隷従させていた金持ちの「甘やかされ息子」がニュースになりましたよね。
これも自己が価値ある存在という感覚を、必死になって得ようとしている姿でありまして、「いじめ」と共通しています。
「どうせ死んでおしまい」という根底意識がなかったら、こんなことしないのです。
大人の、家庭での幼い子供への虐待も、ほとんどがそれを根底動機にしています。
「この子供はダメだから、教育してやらねば」、という気持の底には、そうして自分が価値あるという感覚を懸命に保とうとしている姿があるのです。
そういう動機ですから、すぐにエスカレートしていきます。
このままでは、こういう大人、子供の予備軍が膨大な数、出現するでしょう。
文部行政などでは対処できなくなるでしょう。
おそろしいことです。

この問題に根底から対処する力を持つものは、「人間死んでおしまいでない、永続する」と確信を持っていう言葉だけです。そして、それを積極的に、強く伝えられているのは聖書しかありません。
キリスト教ではありません。キリスト教には色々ありますからね。
宗教ではない。
聖書という本です。
他にもその種の本はありますけれども、みんな強い提示が出来てないです。
「人間は永続する」という言葉を確信強く言えるための壮大な論理体系がないから。
聖書のこの「よき」側面を、どうやって知らせようか。
これは緊急事態に思えてなりません。
春平太は日本人として速くそれを知らせる義務のようなものを感じています。
実際に出来るかわかりませんが、場合によっては、このブログの更新が少なくなっていくかも知れません。

