これまでは天使の、喜ばしい(人間にとって)ところがたくさん出てきました。
今回は、すこし色合いが違います。
悔い改めと赦しに焦点を当ててみます。
この二つは、福音の核心ですよね。これがなかったら、福音は成立しません。
アダムの後の人間は、生まれながらに罪人となっています。
だから、罪を犯します。
けれども、それを悟って悔い改めて、イエスの十字架死と血による救いを真理だと受容したら、罪は許される。
そういういい知らせが福音でした。
ところが人間のことばかりを勝手に考えていないで、目を天使に転じてみると、なにか違った風景が見えてきます。聖書に天使が悔い改めた場面、悔い改めて許された場面は、見あたりませせん。
天使の場合は、罪を犯した存在は明確に限定されて出てきます。通常出てくる天使は、創造主に仕えて働いたり、人間を助けたりする天使ですよね。これは罪を犯しておりません。いつも、その意識は創造主のみむねを受容する姿勢で創主に向かっています。
罪を犯した天使は、サタンと「天の諸々の悪霊」と記されている存在たちです。
サタンは、もとは天使だったということになっています。これはもう聖書を読む者たちは誰も承知のことですよね。
創造主を讃美する天使軍団の長でした。それがある時、自分も創主のように讃美される立場に立ちたいと望んでしまう。そこで天の創造主の王国の一角に、自分の王国を造ろうとする。配下の天使たちにそこで自分を讃美させようとする。彼らもそれに従います。こうしてサタンと「天の諸々の悪霊」に変質した。聖書ではそういうことになっています。
ここで天使は自分の与えられた職務に従わなくなっています。創造主のみむねに反しています。だから罪なんですね。天使の犯した罪はこういう風に明確に限定されています。
だけど、彼らだって、人間と同じ被造物(被造霊)です。
罪を犯しても、それを悟って悔い改め、イエスを信じたら赦しが得られそうなものです。
だけど、聖書にはそういう記述はありません。
悔い改めたという記述がないだけではありません。
彼らは、そのままで、最後の審判の時には、火の湖に投げ込まれ、「熱い、熱い」と永遠に苦しむことになっています。
すると、彼らには、悔い改めも赦しもできないようになっているのではないでしょうか。
そういう存在として、そもそも、創られているのではないでしょうか。
そして、もしそうなら、これはとっても不公平なことではないでしょうか?
人間と比べてですよ。
このあたりは、どうなっているのだろうか。
次回に、考えてみましょう。
(続きます)