鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.13 「人間と比較しつつ天使を(9)~~死後、人の霊をパラダイスに連れて行く~~」

2006年11月09日 | “エホバ”の奥義
                    


天使は、いわゆる「救いを受ける者」がこの世の人生を送っている間に助けるだけではないようです。
少なくとも、死後、その霊がパラダイスに行くのをも助けるようです。

ルカ伝にある聖書の次の話をご覧ください。

~~ある金持ちが、毎日贅沢に遊び暮らしていました。
その地に、ラザロという貧乏人がいました。
ラザロは全身、できもので覆われていました。
(当時は今のように医療が普及していないので、
貧しい者は薬を塗ることも出来なかったのでしょう)

ラザロは、金持ちの玄関の前に座って、その食卓から落ちるもの
(しもべが掃き集めてゴミとして捨てるのでしょう)で飢えをしのぎたいと願いました。
犬が来て彼のできものをなめていました。

その後、貧乏人ラザロは死にました。
すると、天使が彼(の霊)をアブラハム(信仰の父と言われる、信頼深かった人。ユダヤ民族の祖先とされている)
のふところに連れて行きました。こうして彼は、死後に慰められることになったのです。

 聖句はこうなっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さて、この貧乏人は死んで、天使たちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。」
(ルカによる福音書、22節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     

 この話はまだ続きますが、とにかくイエスのこのメッセージは、たとえ話ではありません。
聖書ではイエスは霊界が見える存在となっています。
しかも、人類が出来る以前から存在していた創造主の子となっています。
かつてあった話を民衆にしているのです。

 で、ここで「天使たちが貧乏人だったラザロの霊を、アブラハムのもとに連れて行った」というのも、
霊界で起きた事実だと解していいでしょう。

 ついでに言いますと、このアブラハムのふところというのは、天国ではありません。
天の創造主の王国は、「最後の審判」の後にならないと、人の霊が入ることはありません。
これはそのず~と前の話ですから、天国ではないのです。

 ではどこか、と言うことになりますが、春平太はパラダイスと解していいだろうと思っています。
これは天国ではなく、この宇宙の中の何処かにある、空間だと思われます。
そこは、イエスを信頼した人の霊(深く信頼すると「世」では不適応症になりがちですので、
世では苦しむことが多きなります)が、休むところだと思われます。

 とにかく本来そうであるころに、天使たちは、ラザロの霊をも連れて行っているわけです。
彼は信仰者だったのでしょうか。あるいは、哀れな生涯に対して「哀れみ」を受けたのでしょうか。
そこはわかりませんが、ともかく、天使が連れて行っていると、間違いなく記されています。

                    
 
 イエス信頼者についてそんなこと、現実にあるのか?
それらしい話を、春平太は一度ならず聞いたことがあります。
信頼心の深い人が、臨終を迎えるとき、「ああ、天使がそこにきている・・・」
といった、という出来事を親族の方が語るのを何回か聞いた。
 
 そうしたことから人間の霊は、肉体を着ている間は霊界の認知が容易ではないのですが、
肉体を抜けると、結構霊界がよく見えるようになるのではないか、と思います。

                    

 このラザロの話の続きも、それを示唆しています。
 
 ~~さて、ラザロだけでなく、金持ちも死にました。
彼は黄泉(くらいところ、という意味)で、炎に焼かれて苦しんでいました。
彼は言いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「父、アブラハムよ(我が民族の祖先、アブラハムよ、という意味)、私を哀れんでください。
あなたの懐にいるラザロの指先を水で濡らし、こちらに送って私の下を冷やさせてください」
(ルカによる福音書、16章24節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なお、ここは聖書に出てくるハデス(火のあるところ。これも宇宙の中に何処かにあると解読できる)
ではないかと思われますが、とにかくそれに対してアブラハムはこう言います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  「子よ(ユダヤ民族の子孫よ)、あなたは「世」で良いものを受け、ラザロは悪いものを受けました。
そして今、彼は慰められ、あなたはそこで苦しんでいるのです。」(「ルカ」16章25節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

~~また言いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「私たちとあなたの間には、大きな淵(河などの水がよどんで深いところ)があるのです。
お互いにそれを超えて行き来することは出来ません」(ルカ、16章26節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すると金持ちは、せめて自分の5人の兄弟だけでも救おうと~~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ではせめて、ラザロを私の兄弟たちのところに送って、悔い改めるようにしてください」
(ルカ、16章27~28節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ~~と頼みます。


ここで元金持ちは、大きな淵をこえた向こう側にいるアブラハムが見えているんですね。
アブラハムもまた元金持ちを見てメッセージを送っています。
霊になるとこんなにも霊界が見えるんですね。
 
 だったら、肉体がすっかり弱って、霊がそこを抜けようとしている臨終の人の霊に、
近くに来た天使たちが見えることは、あるのではないか、と思わます。

 話は余談に入りましたが、とにかく、この様にして天使たちは、
イエス信頼者の死後の霊を、パラダイスに連れて行く仕事もするように推察されます。

(続きます)


                    

コメント (4)
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