鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.12 「人間と比較しつつ天使を(8)~~「救いを受ける者」を助ける~~」

2006年11月07日 | “エホバ”の奥義
                    

 天使は、創造主に仕える霊でしたね。
 でも、聖書をよく見ると、それだけではないようです。
彼らは人間に仕えることもあるという論理にもなっています。
つぎの聖句をご覧下さい~~


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「御使いたちはみな仕える霊であって、
救いを相続する人々に仕えるために遣わされたのではありませんか」
(ヘブル人への手紙、1章14節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

~~ここで、「救いを相続(受け継ぐ)人々」というのは、
イエスの言葉を信頼して、いわゆる「救い」を受ける人々です。
信頼者(信仰者)ですね。
 で、天使は「この人たちに仕えるために遣わされた」とも、
言ってるんですね、この聖句は。

 驚いた・・・。
 人間にですよ、あの権能ある天使が・・。

                    


 ただし、「仕える」といっても、人間は天使が見えませんので、
これに具体的に命令する、ということは実際上はすくないでしょうね。
 この場合の働きは、天使の方が能動的にならざるを得ません。
人間は受動的に「仕えられる」ことになります。
ということは、実際には「助けられる」ということですね。

 天使が助けるのです。
 
そういうことってありますか?
 そうですね、天使は見えませんので、確実に「天使が助けてくれた」と事態がもしあったとしても、
それを目で確かめられるケースは少ないでしょう。
 でも、人間には、ある程度の霊感というのもあります。
第六感「ピーンと来る」という奴ですね。
「ああ、これはなにか見えない力が働いたのではないか・・」と。

                    


 そういう証言事例は、結構多いようです。
たとえば、ならずものが気がむしゃくしゃして、誰でもいいから傷つけてやろう、
あるいは、お金を喝(かつ)あげてやろうと、イエス信頼者に目を付けたとします。
そうして、接近はしたけれど、急に何故か「やる気」がフ~と失せてしまった、
とかいう事態です。
で「今日は止めとくか・・・」となってしまう。
そういう事象はあるようです。

あるいは、こんなケース。
 対向2車線で、中央分離帯がない車道が日本には多いですよね。
もちろん、アメリカにも田舎にあります。
この場合、人は実は対向車の運転手にいのちを預けているようなところがあります。

 次々にすれ違っていくクルマの内の、ある一台がセンターラインを超えてきたら、おしまいです。
これはもう、自分の努力ではどうにも出来ません。

 しかし、天使はこう言うときにも助けに入りうる、と考えられます。
 ある対向車がイエス信頼者のクルマに正面衝突するような可能性で、
たとえば眠気に襲われながら運転してきたとします。
天使はそういうのを前もって知ることが出来ます。

 すると、その前に、当の対向車の運転手がぱっとわれに返るようにします。
あるいは、信頼者が急にスピードを緩めたくなるようにして、
対向車がセンターラインを超えた地点に一致しないようにする。
 そういうこともあるかも知れません。

                    


 「使徒行伝」12章には、そういう「助け」が信頼者にはっきりわかる形で、
天使によってなされた事態が記されています。
使徒ペテロが、福音を伝えた廉(かど)で、ユダヤの王様ヘロデ王に、
二本の鎖で繋がれて牢屋に入れられます。
「四人一組の兵士、四組に引き渡して監視させた」(使徒行伝、12章4節)

~~とありますから、厳重な監視体制下に置かれました。

 ところが、夜中に天使が来てペテロの脇腹をたたいて起こします。
鎖がパラリとペテロの手から落ちます。
「上着を着て、私(天使)にいついてきなさい」といわれて外に向かってついて行くと、
町に通じる鉄の門も独りでに開いてしまいます。
こうしてペテロは救い出された、と聖書は記録しています。

 ついて行ったんだから、天使は見えていたのでしょうね、この場合は。

                    

 こういう事態は、同じ「使徒行伝」5章にも記されています。

 イエスの使徒たちが、エルサレムの宮殿の中の「ソロモンの廊」というところで、
やってきた町の人々の病気を全部癒してしまいます。悪霊も追い出してあげます。
 で、それをねたんだユダヤ教の大祭司たちに、留置場に入れられてしまいます。
 ところがここでも~~

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 「夜、主の使い(天使)が牢の戸を開き、彼らを連れ出し、
『行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい』
と言った」(使徒行伝、5章19~20節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
~~とあります。

                    

 上記の場合は、天使は、使徒たちの目に見える状態で、助けています。
 この世に教会が立ち上げられていく時には、こんなダイナミックな形で、
天使は助けたのでしょうか。
 あるいは、使徒たちの信頼心が、現代の信頼者をはるか凌駕した深いものだったからでしょうか。

 それはわかりませんが、現代においても、霊感で感知できる働きは、たくさんあるようです。
 また、南米に宣教に行った宣教師の家族が、天使によって命を守られたという話を、
アラバマにいたとき聞きました。
この場合は、襲おうとした強盗たちに、天使がはっきり見えたということでした。
捕らえられた彼らの告白で、それが明らかになったとのことでした。

夢のある話やね。
長くなるので、このへんで。


(続きます)

                    


コメント
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