鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

週に一日は、終日オレ(創造主)を想え

2007年01月18日 | “エホバ”の奥義
前回まで、創造主は聖書に自分のことを記録させ、かつ、十戒でもって自分以外の存在を礼拝するな、と命じたと述べました。

                    

<終日創造主を>

 もう、それだけしたらいい? そうじゃないんだよね。さらに命令を重ねます。
「週に一日、終日俺を思え」と。

 具体的には土曜日です。安息日と名付けられていますけれど、安息の名は第一に創造主が、6日間創造の業をされて安息されたことから出ています。この理由が示すように、ここでも創造主中心の神本主義です。

 人間はまあ、仕事はしないのですが、全くのお休みというわけにはいきません。その日がもうけられた理由が、創主が創造の業を終えて休まれたからだという。それを憶えて休めということは、創主は意識に置いていろということですからね。そういう精神作業があるわけです。

 なお、このとき仕事をしないのは家長の当人だけではありません。その息子、娘、男女の奴隷、さらには家畜に到るまで、また、当人の町囲みの中にいる在留外国人にも安息させろ、という。徹底していますね。

                    

<制度化の力>

 がともあれ、一日中何もするな、というのは厳しいですね。現代のクリスチャンも安息日をもちます。日曜日で、これが聖日であるとして教会で礼拝します。でも、午前の2時間ほど賛美歌うたったり説教聞いたりして、献金しておしまい。あとは街に出て食事したり、映画見たり、ゲームしたり、カラオケしたりしてます。

 旧約の安息日の厳しさは飛び抜けている。エホバもそこまでやるか、という印象です。しかもこちらは、十戒という命令の一つで、守らねば子々孫々呪うという罰則付きですしね。

 でもこれがゴッドリーな世界意識の型枠を社会に造る力は大きいと思いますよ。週に一日となれば、民族社会の行事になるわけですからね。ゴッドリーな行動様式が制度化されたことになります。これができたら、大人だけでなく幼い子供もその中に組み込まれずにはいられません。行事は人々のライフスタイルを形作ります。

                    

<ラマダンの型枠形成力は強烈>

 その観点から見ると、イスラムのラマダンという行事も、宗教的な思考の型枠を造る力は実に大きいでしょうね。イスラム歴の9月の1ヶ月間を、断食月とする。日の出前から日没までは、飲食するな、性行為をするな、怒るな、虚言を吐くな、人の悪口を言うな、という。もう日中はただジィ~と命令を守ってるしかない。

 で、陽が落ちたらわぁーっと解放されて飲み食いする(うまく出来てるなあ~)。で、夜が明けたら又断食。そういう暮らしを全社会で一ヶ月間繰り返すのですからね。毎年それがやってくる。子供などもイスラム教の思考型枠をもたないものはいなくなるでしょう。

                    

<エホバは毎週させた>

 しかし、毎週一日、終日なにもしない、という行事も相当なものですよ。そしてエホバがそこまでしたのは、それが必要なほどに、人間社会で多数者がゴッドリーな思考の型枠を持つようになるのは難事だったからでしょう。

(続きます)

                    


コメント
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