創造主という神の概念は人間の意識に自然発生しない。
これを一民族社会のマジョリティ(大多数)の意識に植え付けるためにエホバは様々な仕事をしている。
~~こういう観点から旧約聖書に書かれている出来事を追ってきました。
これをしている過程で鹿嶋の中に新しい気付きが生じてきています。
エホバはアブラハムに目をとめて、彼の子孫をそのための民族にすると決めた~~このことは前述しました。
だがこのときエホバはまた、アブラハムに父祖の地を旅立つように命じているんですね。
そして、自分の命ずる方向に向かえと、旅を続けさせています。なかなか定住させない。
その状態で、イサクを授け、ヤコブを授けて人数を増やしていきます。
旅を続けさせた意味も、鹿嶋は実感できるようになってきました。
人間は定住すると、生活実感の中に自然に発生する神々をその地にどんどん蓄積していくのですね。
実感を高めるために像に刻みますから、それらがその
土地に残る。
こうして時とともに神々を蓄積していくことになる。湿潤の土壌に雑草が生い茂っていくかのように、神々が増殖していきます。
アブラハムの一族だって、ある地点で定住したらそうなり易いのですね。
だからエホバは、彼に妻と使用人たちをつれて父祖の地を出るように命じ、
さらにあちらへこちらへと旅を続けさせたのでしょう。
でも、目的地はありました。それがカナン(今のイスラエルとその周辺の地)でした。
彼らがそこにつくと、エホバは彼らをしばらく定住させます。
しかし、後にまた飢饉を起こしてエジプトに向けて旅立たざるを得なくします。
どうしてそんなことをするか。
創造主の概念をこの民族のマジョリティに定着させる仕事は、まだ完成していなかったからでしょう。
旧訳聖書のストーリーはこういう風に鹿嶋の中で新たな意味を持ってきました。
それは実感の伴う意味理解です。
それにつれて、聖書という書物に書かれていることへの鹿嶋の信頼は一層深まってきています。
(続きます)