鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

= 聖書なんて宗教の本!=

2017年06月01日 | 随想

 



先回、日本人の人生思想を深いものにする実践的な案を述べました。
それは、聖句を自由に吟味する活動が広がること、でした。

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けれどもこれは今の日本の読者には、直ちには飲み込むのが難しい案だと思います。
日本には、いくつもの壁があるのです。

その一つは、「そんな“宗教的な”案など信用できない」という思いでしょう。


<戦前までは国家武士道一色>

日本人は、戦前まで、国家武士道という、簡単でわかりやすい人生思想を小学生のうちからすり込まれてきました。

それは、神道と組み合わされて、現人神(あらひとかみ: 天皇)を日常的に反復礼拝させることでもって、補強されました。
幼いうちから、それ一色の人生思想の中で育てられると、人間は、そういう思想の人間になっていくものです。
彼らはこの教育によって、兵士として戦場に補給されてきました。




<もう宗教は絶対信じないぞ!>

ところが、戦争に負けてしまった。
米国艦船が沖縄を取り囲んでも、教え込まれた「カミカゼ」は吹かなかった。

「俺たちは、だまされてきたのだ!」
戦中派の大人たちは、敗戦と同時にそう懺悔しました。
いわゆる「一億総懺悔」です。

そして「宗教はだますものだ」「もう宗教は絶対に信じないぞ」と固く心に誓いました。


<今日は坊主を見た、縁起が悪い>

戦後日本人は、この風潮と共に立ち上がりました。
新聞も思想雑誌も学術的な雑誌も、大衆も知識人も文化人もみな、宗教不信に発した無神論でスタートしました。

この戦後の風潮を、幼少だった鹿嶋も、明確に記憶しています。
人間観察においては、早熟だったのかも知れません。

ラジオから流れてくるメッセージも、無神論をベースにしたヒューマニズムのそれでした。
大人たちは、「ああ、今日は坊主を見た。縁起が悪い」と言い交わしていました。
私たち子どももそのセリフをまねして、会話に交えていました。

この心情・思想の基調は、そのまま、今日まで続いています。
学校教育も、戦後は「無神論ベースで」再開されてきているのです。

そうしたなかで、三島事件も、統一教会事件も、おうむ事件も突発してきているわけです。

だから、「聖書? そんなものキリスト教の教典じゃないか。宗教の本じゃないか」ということで、はなっから受け付けない。
そういう土壌を承知で、鹿嶋は、「聖句自由吟味活動で打開できる」と述べました。

この壁に穴をあけるのが、いま製本中の次作本なのですが、なかなか大変であります。







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