鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

=御国が臨在する条件2=

2017年06月15日 | 随想

 


~前回の続きです。
   字数が規定をオーバーしたようですので、後半をここに~




 

<実在感が高まると言葉は「心に入って留まる」>


さてこの解釈を踏まえた上で、残りのイエスのことば~

・・・・・・・・・・・
「わたし(イエス)の言葉が諸君にとどまる」
・・・・・・・・・・・

を考えましょう。

+++

これは次のように解読できるのではないでしょうか~。

すなわち、イエスの言葉が形成する「イエスワールド」へのリアリティが高まっていくと、あるとき、その言葉は活きた霊 「活霊」になる~と。
 
そしてその人の「心のうちに入り留まる」のだ~と。

そうなれば、生きものとなったイエスの言葉は、必要なときに当人の意識を導くようになるでしょう。

それはつまり、それだけ「分身」になったわけでもあります。
 
 
 
 
<日本の「言霊(ことだま)」>
 

ところで「言葉が霊になる」と聞くと「ああ、もうついていけない」という人が出るかも知れませんね。

だけど「言葉ワールド」のリアリティが高まると、その言葉が一人歩きするという認識は日本にも昔からありますよ。

「言霊(ことだま)」という日本語はそれを指しています。

+++

世俗世界にもそれに似た心理現象は起きていますよ。

たとえば小説作家は、登場人物の性格や生育環境などをことばで設定し、そのイメージを心の中に寝かせておきます。

するとあるとき、その人物像が自主的に動き出す、といいます。

このとき、作家はその人物イメージ(霊)の動きを追うことによって、活き活きした物語を書いていくようです。
 

 


<御国の侵入>
 
ともあれ、上記の聖句「わたし(イエス)の言葉が諸君にとどまる」は、以上のように解読できるわけです。

この条件を満たして、当人が御国を求めたら、その時、天の王国空間はその人の周囲空間に侵入し、臨在するのではないでしょうか。

御国の臨在感がそこに満ちる。

この臨在感は栄光と呼ばれることもあります。

が、ともあれこうなったらあとはオートマチックです。

「世」の悪しき諸要素である~病、身体不全、貧困、鬱などは、上位の統治権を持つ御国の権威によって自動的に追い出されます。

病は癒やされ、身体器官を構成する細胞は再創造され、経済は祝福され、鬱などの精神疾患も快適状態に転じてしまう。

こうして「超自然的な奇跡への願い」がすべてかなえられる。
「しるし」が現れるのです。

前掲した聖句~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなたがた(イエスを信頼する人々)が私(の言葉)にとどまり、
わたしのことばが諸君にとどまるなら、何でも欲しいものを求めなさい。 
そうすれば諸君のために、それがかなえられます」
      (ヨハネによる福音書、15章7節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

~は、このように解読されます。


+++


繰り返しますが、こういう超自然的事象をみると、人は最初は驚きます。

だが、これが繰り返されると、普通のことと思うようになります。

この体験によって「御国の知らせ(よき知らせ)」への確信は確かなものになっていく。

こうした「しるし」を現せば、日本の福音土壌の悪さも正面から突破されていくでしょう。

もう、脇の下に手を入れてくすぐる必要も無いわけです。



=御国が臨在する条件2= ・・・・完)







 
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=御国が臨在する条件1=

2017年06月15日 | 随想

 




今回は、御国空間が特定の人々の周囲に降りてきて臨在するための、人間側の条件を解読しましょう。




<イエスのことばに留まる>


条件は、先回示した聖句の前半~

・・・・・・・・・・・・・・・
「諸君が私(イエス)の言葉にとどまり、わたしのことばが諸君にとどまるなら」
・・・・・・・・・・・・・・・

~に記されています。


+++

まず、「諸君がイエスの言葉に留まる」から読み解きましょう。

ここで「イエスの言葉に」というのは「イエスの言葉が形成するイメージワ-ルドに」と鹿嶋は解します。

「留まる」とは、「そのイメージ世界に意識を留める」ということ。
そしてそれは、そこでしばし黙想(瞑想)することによってなされます。

つまり、イエスの言葉を一つ理解したら次に進む、というのではない。
「ああ、いい教えだった。はい!、では次の教えを」と進むのではありません。

しばらくの間「そのイメージワールドを瞑想する」のです。



<超自然界(霊界)の話の実在感は20%以下>

それは「霊界」にリアリティーを感じられるようになるために必要です。

イエスの伝える「よき知らせ」の核心である「天の御国」は「超自然(超物質)な霊的空間の世界」です。

そういうワールドに対しては、人間は自然なままではあまりリアルな実在感が抱けないのです。
 

我々人間は生まれて以来、五感で認識できる物質世界(自然界)にもっぱら対応して生きてきていますからね。

いわゆる五感は比較的よく育っていますが、霊的領域への感覚は薄いのです。

+++


前述した福音の表義「イエスをアクセプトすると原罪が許され、救いの資格は与えられるよ」というのも霊領域の話です。

それをアクセプトした人でも、リアルに感じる度合いは小さいですよ。

よくいってもせいぜい20%くらい、多くはもっともっと小さいでしょう。

また、その確信度合いも放っておけば時と共に薄れていくでしょう。
10% ⇒ 5% ⇒ 2%・・・といった具合に。

+++

でもそれについては、表義はのべておりません。

実際には、2%の確信でもアクセプトしてバプテスマを受けたら「救い」の資格は得られるでしょう。
 
だけど、さらに低下して確信がゼロになったら、資格は帳消しですよ。

+++

もちろん当人が所属する教会は、その実在感を維持させるために、いろんなサービスをしてくれます

日曜毎の礼拝とか信徒同士の交わり機会の提供とかしてくれる。

だがそれらによっては実在感はあまり上昇することはありません。

確信はあやふやな状態にあり続けます。



<霊感という直感能力>

 
この実在感を奇跡によって飛躍させる方法が奥義なのですね。

「しるし」は御国が臨在してくれたら、オートマチックに現れます。

その臨在を得るための、条件の話を今回はしているわけです。

そこに話を戻しますと、

その第一は~

「イエスのことばのイメージワールドの中に意識を留める(黙想する)」ことだと、鹿嶋は解したわけです。

+++

話を進めます。

この解読をもう少し具体的にするためには、「霊感」という語を導入するのがいいです。

人には五感覚があるといわれますよね。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚がそれです。

これは物質に対する感覚ですから、物質感、略して「物感」といってもいい。
そんな語は辞書にありませんけどね。

ならば、これに対応させるて霊に関する感覚を考えることができる。
すると、それは霊質感となり、略して「霊感」となるでしょう。

+++

霊感も感性の一機能で感覚です。

これにも五感覚と同じように、五霊覚なんてのを考えていいでしょう。

創造神(感)覚、聖霊覚、天使覚、人霊覚、栄光覚、なんてどうでしょうかね。

でも我々の五霊覚は自然なままでは薄いんですよね。
 
人はせいぜい、それらを漠然と「第六感」などといって、時折かすかに自覚しているくらいです。





<霊感を開く>


だが、霊感は開かれ拡大され得ます。

そしてこれを開けば認識できる霊界の領域は拡大します。

それが「イエスの言葉が形成するイメージ世界」に意識を留め、瞑想の時を持つことによってなっていくのです。

よく味わい黙想(瞑想)する。

これによって霊感が開き、育っていく~と鹿嶋は解します。

+++
 
だけど、実際に効果が現れるにはどれくらいの期間が必要なのでしょうね。

この方法で癒しなどの奇跡を連発している日本人女性(カナダ在住)がいます。

生物物理学者です。

彼女は体験から「一つの聖句につき、三日から数日間ほど黙想すると、認識可能な霊領域は拡大していく」との旨をいっています。


+++

もちろん、人は仕事もクルマの運転も買い物もしますよね。

そういう生活の中で、黙想の時をもちながら一定期間過ごすわけです。

するとその間に、霊感は育成される。

そして「イエスの言葉のイメージ世界」が物質世界と同等にリアルに感じられるようになると思われます。

+++

この瞑想を他の言葉に広げていけば、霊的ワールドに感じるリアリティ(実在感)は物質世界以上になっていくでしょう。

それは、道理に沿ったルートです。

聖書の存在観では、霊的世界の方が根底的であり、基盤だからです。

 


=御国が臨在する条件1= ・・・・完)



~字数が規定をオーバーしたようですので、次回とに分けて投稿します~

 

 

 

 

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