先回、戦後日本人には宗教一般に対して反射的に恐怖を抱く、と申しました。
だから聖書自由吟味が鍵ですよといっても「聖書なんか宗教の本ではないか!」と即座に思ってしまう。
それが聖句自由吟味にいたる前に、壁となってたちはだかっている。
~こう申しました。
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こういうケースでは、「宗教の教典と言っても聖書はですね・・・」と一般論的に語りかけても、鉄板にげんこつで穴をあけようとするようなものです。
戦後日本人の宗教不信と恐怖症はそれほど深いのです。
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う~ん、どうしようかなあ・・・。
こんなのはいかが?
日本人も、聖書が新約聖書と旧約聖書とからなっていることは、おおむねしっています。
この両者の関係を示してみたらどうかな?
それを筋道だって示したら、知的欲求はみたすのではないか。
それを短い聖句を提示してイメージしてもらったらどうか。
これがわかれば、聖書の全体観の一端に触れることができ、聖書って結構知的な本なのだなあ・・・と、わかるのではないかな。
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<旧約聖書はイエスを述べた本>
その聖句は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」(ヨハネ伝、ともいいます)にあるこんなものです。
・・・・・・・・・・・・
「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って読んでいるが、これは私のことを述べた本なのだよ」
(5章39節)
・・・・・・・・・・・・・
これはイエスの言葉です。
だから、ここで「わたし」とはイエスのことだとわかります。
また、この時点では、新約聖書は出来ておりませんので、ここでの「聖書」とは旧約聖書のことである。
その程度の解説なら、ついてくる人も少なくないでしょう。
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そしてこの二つをつなぎ合わせます。
するとイエスは「旧約聖書は自分のことを述べた本だ」といっていることになります。
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<だってイエスの名は一つも出てこないよ>
そして旧約聖書をパラパラと見せてあげます。
で、そこには、「イエスという名前は一つも出ていない」と伝えます。
加えてこう伝えます。
「イエスのこの言葉は新約聖書に記録されています。
そして、旧約聖書は、この言葉の故に、キリスト教の聖書に含めて編集されているのです。
キリスト教は、イエスのことばは真理だとして語る教えですから」と。
そして、こういう~。
「旧約の後に作られる新約聖書は、みな“イエスの生涯とその教え”を述べています。
すると、結局、新約聖書に記録されたイエスを、別のことば、別の話でもって述べている本が旧約聖書、ということになります」
「つまり、イエスを何か別の言葉で、つまり、比喩でもって暗示している本となります」
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<比喩表示を例示する>
そして旧約聖書「創世記」の冒頭の話ででその実例を示します。
そこにはこういう聖句があります~。
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「わたしはおまえと女との間に、
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
敵意を置く。
彼はおまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく」
(創世記、3章15節)
・・・・・・・・・・・
「・・・なんとも奇想天外な文章ですね。
だが状況のいきさつは、この聖句の前後の文章を読むと容易にわかります」
~こう伝えて、話を続けます。
「これは、エデンの楽園で起きた出来事をめぐっての創造神の言葉です。
悪魔がヘビを使ってイブを誘惑します。
園の中央にある木の実を、創造神は“「食べてはならない”と命じています。
だがヘビは、上手く誘導してイブに、食べさせてしまいます。
さらにアダムも、イブにすすめられて食べてしまいます」
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<「罪」とは>
「創造神の御旨を外れた行為を聖書では「罪」といいます。
二人は、悪魔の誘惑に乗ってしまって、罪を犯したのです」
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こういって~、
「ではここで、“女の子孫”と“悪魔(ヘビを使って誘惑している)”が何を言っているか、解読しましょう」
~と、話を続けます。
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<「女の子孫」とは?>
「まず、“「女の子孫”です。
結論から言うと、これは創造神の御子イエスに対応しています。
これ以外に対応するものはないことを今示しますね」
「聖書では、霊の資質は父親を通して遺伝する、としています。
だから人間はみな、霊的には、言ってみれば「男の子孫」となります」
「ところが、イエスだけは『聖霊の力によって処女マリアが身ごもって産んだ子』という論理に聖書ではなっています。
だから、イエスは男の子孫ではなく、この地上における只一人の”女の子孫”ということになるのですね」
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<「悪魔の子孫」とは?>
「次に、“おまえ(悪魔)の子孫”」にいきましょう。
こちらはちょっと理屈が複雑です」
「こちらもまず結論から~。
創造神は「おまえ」というのを悪魔をさして言っています。
そして“「おまえの子孫”には“この世の人々”が対応しています」
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<悪魔は「世の君」>
「これもかなりビックリですね。
なぜか?
イエスの認識では、悪魔は、根底的に、全身全霊的に、創造神に敵対する存在になってしまっています。
そしてこの『世』は基本的には悪魔の影響下にあるのです。
それは、新約聖書のイエスの言葉で明かされます。
イエスは悪魔を『世の君(君主)』と言っています」
「つまり、この世が基本的に悪魔の影響下にあるのなら、人間はその下に生まれ、成長しますよね。
無自覚のうちにそうしてきます。
だから、知らぬ間に「世の意識」をベースに持った状態になって生きていることになるのです」
「これを『創世記』の上記の聖句では、悪魔の子孫となっているととらえています。
だからここで『おまえの子孫』は、この世の一般の人々(イエスの弟子以外の)のことと、なるのです」
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<殺せ! 十字架にかけろ!>
「そこで、一般のユダヤ人もイエス(創造神の子)には、意識の根底でイエスへの敵意、殺意に満ちていることになります。
これはもうもう理屈抜きで、宿命的であって和解の余地はない~ということになります」
「実際、新約聖書の終盤で、ユダヤ教の指導者(高僧)は『イエスを十字架にかけろ!』叫び、群衆もそれに呼応して叫ぶ状況が、記録されています」
「そういう衝動が心の根底にあるからです」
「イエスの愛弟子ヨハネは、その事実を「ヨハネ伝」の18章以降に、克明に描写しています」
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・・・こんなのでいかがでしょうか?
う~ん、説明の過程で、「や~めた」という人が出てくるでしょうね。
これ以上ついていくと、何かだまされるかもしれないと怖くなった、とかで。
残って、「へーえ、おもろいなあ」と、聖書に関心を留める人は、少ないかもね。
ゼロではないにしても・・・。
う~ん、日本人が人生観を深め、政治見識を持つための鍵に目覚めるのは、大変なんだなぁ~。
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