鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

=「女の子孫」は「イエス」と解読=

2017年06月05日 | 随想

 

 
 
先回、戦後日本人には宗教一般に対して反射的に恐怖を抱く、と申しました。

だから聖書自由吟味が鍵ですよといっても「聖書なんか宗教の本ではないか!」と即座に思ってしまう。
それが聖句自由吟味にいたる前に、壁となってたちはだかっている。

~こう申しました。

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こういうケースでは、「宗教の教典と言っても聖書はですね・・・」と一般論的に語りかけても、鉄板にげんこつで穴をあけようとするようなものです。

戦後日本人の宗教不信と恐怖症はそれほど深いのです。

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う~ん、どうしようかなあ・・・。

こんなのはいかが?

日本人も、聖書が新約聖書と旧約聖書とからなっていることは、おおむねしっています。
この両者の関係を示してみたらどうかな?

それを筋道だって示したら、知的欲求はみたすのではないか。

それを短い聖句を提示してイメージしてもらったらどうか。

これがわかれば、聖書の全体観の一端に触れることができ、聖書って結構知的な本なのだなあ・・・と、わかるのではないかな。




<旧約聖書はイエスを述べた本>

 

その聖句は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」(ヨハネ伝、ともいいます)にあるこんなものです。


・・・・・・・・・・・・
「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って読んでいるが、これは私のことを述べた本なのだよ」
    (5章39節)
・・・・・・・・・・・・・

これはイエスの言葉です。
だから、ここで「わたし」とはイエスのことだとわかります。

また、この時点では、新約聖書は出来ておりませんので、ここでの「聖書」とは旧約聖書のことである。
その程度の解説なら、ついてくる人も少なくないでしょう。

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そしてこの二つをつなぎ合わせます。
するとイエスは「旧約聖書は自分のことを述べた本だ」といっていることになります。



<だってイエスの名は一つも出てこないよ>

 
そして旧約聖書をパラパラと見せてあげます。
で、そこには、「イエスという名前は一つも出ていない」と伝えます。

加えてこう伝えます。

「イエスのこの言葉は新約聖書に記録されています。

そして、旧約聖書は、この言葉の故に、キリスト教の聖書に含めて編集されているのです。

キリスト教は、イエスのことばは真理だとして語る教えですから」と。


そして、こういう~。

「旧約の後に作られる新約聖書は、みな“イエスの生涯とその教え”を述べています。

すると、結局、新約聖書に記録されたイエスを、別のことば、別の話でもって述べている本が旧約聖書、ということになります」


「つまり、イエスを何か別の言葉で、つまり、比喩でもって暗示している本となります」



<比喩表示を例示する>

 
そして旧約聖書「創世記」の冒頭の話ででその実例を示します。
そこにはこういう聖句があります~。


・・・・・・・・・・・
 「わたしはおまえと女との間に、
 また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
  敵意を置く。
  彼はおまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく」
          (創世記、3章15節)
・・・・・・・・・・・


「・・・なんとも奇想天外な文章ですね。

だが状況のいきさつは、この聖句の前後の文章を読むと容易にわかります」

~こう伝えて、話を続けます。


「これは、エデンの楽園で起きた出来事をめぐっての創造神の言葉です。

悪魔がヘビを使ってイブを誘惑します。

園の中央にある木の実を、創造神は“「食べてはならない”と命じています。

だがヘビは、上手く誘導してイブに、食べさせてしまいます。

さらにアダムも、イブにすすめられて食べてしまいます」





<「罪」とは>

「創造神の御旨を外れた行為を聖書では「罪」といいます。

二人は、悪魔の誘惑に乗ってしまって、罪を犯したのです」


+++

こういって~、

「ではここで、“女の子孫”と“悪魔(ヘビを使って誘惑している)”が何を言っているか、解読しましょう」

~と、話を続けます。





<「女の子孫」とは?>

「まず、“「女の子孫”です。

結論から言うと、これは創造神の御子イエスに対応しています。

これ以外に対応するものはないことを今示しますね」


「聖書では、霊の資質は父親を通して遺伝する、としています。

だから人間はみな、霊的には、言ってみれば「男の子孫」となります」

「ところが、イエスだけは『聖霊の力によって処女マリアが身ごもって産んだ子』という論理に聖書ではなっています。

だから、イエスは男の子孫ではなく、この地上における只一人の”女の子孫”ということになるのですね」





<「悪魔の子孫」とは?>

「次に、“おまえ(悪魔)の子孫”」にいきましょう。

こちらはちょっと理屈が複雑です」

「こちらもまず結論から~。

創造神は「おまえ」というのを悪魔をさして言っています。

 

そして“「おまえの子孫”には“この世の人々”が対応しています」





<悪魔は「世の君」>

「これもかなりビックリですね。
なぜか?

イエスの認識では、悪魔は、根底的に、全身全霊的に、創造神に敵対する存在になってしまっています。


そしてこの『世』は基本的には悪魔の影響下にあるのです。

それは、新約聖書のイエスの言葉で明かされます。

イエスは悪魔を『世の君(君主)』と言っています」


「つまり、この世が基本的に悪魔の影響下にあるのなら、人間はその下に生まれ、成長しますよね。

無自覚のうちにそうしてきます。

だから、知らぬ間に「世の意識」をベースに持った状態になって生きていることになるのです」


「これを『創世記』の上記の聖句では、悪魔の子孫となっているととらえています。

だからここで『おまえの子孫』は、この世の一般の人々(イエスの弟子以外の)のことと、なるのです」






<殺せ! 十字架にかけろ!>


「そこで、一般のユダヤ人もイエス(創造神の子)には、意識の根底でイエスへの敵意、殺意に満ちていることになります。

これはもうもう理屈抜きで、宿命的であって和解の余地はない~ということになります」


「実際、新約聖書の終盤で、ユダヤ教の指導者(高僧)は『イエスを十字架にかけろ!』叫び、群衆もそれに呼応して叫ぶ状況が、記録されています」

「そういう衝動が心の根底にあるからです」

「イエスの愛弟子ヨハネは、その事実を「ヨハネ伝」の18章以降に、克明に描写しています」
 
+++
 
・・・こんなのでいかがでしょうか?

う~ん、説明の過程で、「や~めた」という人が出てくるでしょうね。

これ以上ついていくと、何かだまされるかもしれないと怖くなった、とかで。


残って、「へーえ、おもろいなあ」と、聖書に関心を留める人は、少ないかもね。

ゼロではないにしても・・・。


う~ん、日本人が人生観を深め、政治見識を持つための鍵に目覚めるのは、大変なんだなぁ~。



 


 
 
コメント
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