さて今回は残り二割方の鹿嶋解釈です。
それは聖句の「私たち」を人間たち、すなわち「人類]と解するものです。
聖句をもう一度あげましょうね。
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「創造神は私たちを世界の基の置かれる間からキリストのうちに選び、
御前で聖く傷のないものにしようとされました」(エペソ人への手紙:1章4節)
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この私たちを「人類」と解する案です。
すると聖句は「被造物創造の前から、人類を御子イエスの統治下に入れば救いを受ける(聖く傷のないものにされる)と、あらかじめ選び定めて創造された」となります。
またそうなれば次に続く聖句(節)も、それ流に解されていきます。
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「創造神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、
愛をもってあらかじめ定めておらえたのです」((エペソ人への手紙:1章5節)
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人類については、御子イエスの統治下に入ったら自分の子にしようと、全被造物を創造する前から、創造神はあらかじめ定めていた~というわけです。
<天使を含めた広大な視野>
「選ぶ」というですから、他のものもパウロのイメージにあるはずですよね。
それは天使だと鹿嶋は解します。
パウロ先生は元々広大な視野で世界を見ている人です。
例えば、「ヘブル人への手紙」を見てみましょう。
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「御使い(天使)はみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わされたのではありませんか」(1章14節)
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ここで「救いの相続者」というのは、イエス主権の統治下に入って、救いを受けた人々です。
天使は「救われた人間」に仕える存在・・・というのがパウロの受けた啓示です。
天使は創造神の子になるように選ばれてはいないのですね。
<現代版はルーク唐沢?>
「相続」というのは実際には「受ける」ということですが、ここでも「相続者」なんて凝った表現してますね。
まあ、パウロ先生はギリシャに生まれ、そこで高度な教育を受けて育った教養あるユダヤ人ですからね。
(今で言えば、Dr.ルーク唐沢といったところか・・・)
ともあれ天使は創造神の子になれるようには造られていない、というのが聖書の論理です。
パウロはそれを頭の一方に起きながら、上記の聖句を書いている・・・これが二割方の解読です。
(=「エペソ書」の全体世界像= ・・・続きます)
(=「選ばれているのは人類」との解読=・・・・ 完)