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「創造神は私たちを世界の基の置かれる間からキリストのうちに選び、
御前で聖く傷のないものにしようとされました」(エペソ人への手紙:1章4節)
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前回までに、この聖句には二つの解釈が出うることを示しました。
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一つは、この「私たち」を「エペソの教会員(信徒)とパウロたち、およびイエス(の言葉)をアクセプトした他の人たち」とする解釈です。
これですと「救いを受ける人間は、被造物を造る前から、すでに選ばれている」となります。
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もう一つは、これを「人類」とする解釈です。
すると上記聖句は「イエス主権の統治下に(in Him)『入れば』救われうる存在だと、(天使などと違って)人間はあらかじめ『選ばれていた』」~となります。
<聖句吟味の方法>
聖書を読んでいると、複数の解読が出来ることがよくあります。
そういうときにはどうするか。
一つには、他の聖句との整合性を吟味します。
もう一つは、それらを総合して貫徹する鉄則(これも全体像の一つです)と照らし合わせることです。
<自由意志を持たせる>
ここでは後者が効いてきます。
決定的な鉄則があるのです。
創造神は天使と人間を「自由意志を持つようにして」創造している、というのがそれです。
それをそのまま直裁的に述べた聖句はありません。
だが、聖書全体にその鉄則が貫徹しているのです。
また、これにはもう一つの鉄則も付随しています。
創造神は、一旦「自由意志を持つように」創った以上、そこには絶対に手を突っ込まないのです。
それもそのままの言葉で述べた聖句はありません。
だけど聖書には、創造神が天使や人間の思いに手を突っ込んで動かした、という記述は皆無です。
<創造神の「全能」の意味>
聖書では、全能者でも自ら決めたことに反することは出来ない。
一般に創造神は全知全能といいますが、聖書では全能者といえども、出来ないこともあるのです。
他にもありますよ。たとえば、創造神は「偽ること、ウソをつくこと」は出来ません。
また「あなたの罪を忘れる」といったら、もう思い出さない、思い出せない。
全能者はみずから「思い出せなくする力」もあるのです。
それが創造神の「全能」です。
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御子イエスの言葉を「アクセプトする、しない」もその一つです。
それは人間に与えた自由意志でもって人間がなすことで、創造神はその領域には手を出せません。
<ルールは定めている>
この鉄則を援用すると、パウロの上記聖句ではこういうことになります。
つまり、創造神はルールはあらかじめ定めているはずだと。
「アクセプトすれば創造神の子とする(いわゆる救いを与える)」
「アクセプトしなければ救いには入れられない」
具体的には~
アクセプトしなければ、悪魔の領域に留まって、最後には悪魔と共に「火の池」に入れられる(これを滅びとも言います)。
~そういうルールは創世前から定まっている~と。
(それを人間に伝えるのが「福音伝道」ということになります)
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こうなるとあらためて、「イエス主権の統治下に入る人も、前もって選ばれて決まっているのなら」
人間がロボットのようになってしまうことがわかってきます。
二割方以下の解釈の方が、実は、正解だったのです。
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パウロは、そういう全体世界像の啓示を受けていた~と鹿嶋は解します。
これだって強烈な世界観ですよ。
(=「エペソ書」の全体世界像= ・・・続きます)
(完)