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『使徒行伝』からは、ペテロやステパノだけでなく、他の弟子たちも聖句を語って伝導していることもうかがえます。
次の聖句はそれを示す一つです。
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「(迫害者だったパウロたちによってエルサレムから)散らされた人たちは、御言葉を宣べ伝えながら、巡り歩いた」
(『使徒行伝』8:4)
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でも、一体、彼らはどうやって聖句に精通していったのでしょうか。
すべてイエスのレッスンによると思われます。
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<公生涯の大半は宣教旅行>
イエスの3年半の公生涯の大半は宣教旅行でした。
彼が引き連れた一団は、12人の使徒だけではなかった。
彼らを囲んでさらに70人の弟子がいました。
この総勢が、徒歩で宣教旅行をしました。
旅の途中にある村々に入り、イエスは聖句解読を中心にした宣教を行いました。
彼はその正しさを、偉跡(病の癒しなどの奇跡)で証拠しつつ語りました。
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<村では弟子たちも聖書を教えた>
その間、他の大勢の弟子たちはどうしていたでしょうね。
ただ突っ立って待っていたとは考えにくい。
暇つぶしにゲームに興じていたとも考えにくいです。
当時、ゲートボールもスマホもないしね。
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おそらく彼らも手分けして、集まってきた村の人々に福音を伝えたでしょう。
彼らはみな、聖句を提示しつつ、その解釈を教えたでしょう。
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<みんなイエスから聖書を学びながら歩いた>
では、その知識はどこでどうやって得たか?
徒歩旅行の間に、でしょう。
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弟子たちの生活時間は、村に入っての伝道以外には、ほとんどが旅でした。
当時、クルマもありませんので、徒歩旅行です。
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弟子たちはその際、軍隊のように、黙々と整列行進していたのではないでしょう。
おそらくイエスを囲んで歩きながら、あるものたちはイエスに近づき、聖句の質問をしてたりしたでしょう。
弟子たちは、結果的に、小グループ毎に順繰りに、聖句の解読レッスンを受ける形になったでしょう。
80人もの弟子たち全員が一度に、歩きながらイエスを取り巻いて話を聞くことは出来ませんからね。
<思い思いに近づき質問した>
レッスンを受けたグループは、イエスから離れて、それについて互いに議論したでしょう。
イエスの講義を検討し、吟味し合ったろした。
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すると別の弟子たちがまた小グループで、イエスに近づき質問したりしたででしょう。
こうやって次々に弟子たちは、小グループを形成して、イエスの薫陶を受けたでしょう。
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ではイエスは結局、しゃべりっぱなしで歩いていたか?
唇の休まるときはなかったか。
そうだったと思います。
イエスは教え続けて歩いていたのです。
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