
こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」・・・今回も進めて参りましょう。
しばらく、西欧中世史に入るための、予備知識を述べてきました。
これから、実際の歴史考察に入りましょう。

<教理統一教会、ローマ国教となる>
コンスタンティヌス大帝がなくなると、教理統一方式の教会は、自らの教団を国教にする工作を推し進めました。
そして、ついに、AD392に、国教の地位を得ました。
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それによって、教理統一教団は、強大な世的権力を手にしました。
そのことを的確に認識するには、国教なるものを、基礎から考えておくことが必要です。
まず、言葉の意味を吟味しましょう。
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国教というのは、為政者(国家権力者)が「わが国家はこの宗教で行く」と定めた宗教です。
それ以外の宗教活動は、禁止です。
しかし人間というのは、こと宗教に関しては、禁止されていても様々な活動をやらかすものです。
ですから国教勢力側は、現実には、他宗教の活動を規制する仕事を続けることになります。


<二つの神イメージ>
そしてその際、その規制運動の強さは、国教となった宗教が、いかなる神イメージを心に抱いているかによって異なってきます。
それを考えるには、筆者がこれまでにのべてきた「神イメージ」の概念が役だちます。
その図をここでも再掲示しましょう。


<在物神>
在物神とは、「もののなかに存在するとイメージされる神」です。
図の右側のゾーンには、在物神イメージを誘う、様々な物質が記されています。
在物神を拝する宗教が国教とされる場合、その規制運動はさほど厳格なものにはなり得ません。
なぜなら、在物神イメージは根底的に「感慨からなるもの」で漠然としているからです。
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つまり、信仰者はもののなかにその神が存在するとイメージします。
そして礼拝するそのときに、神を認識した感慨を抱きます。
礼拝時にその感慨を味わったら、もう神を認識した気持ちになってほぼ満足です。
その感慨の神がどんなものであるかを、言葉〈理念)にして考えていくことはありません。
そして礼拝が終われば、感慨は消えていきます。
従って、在物神信仰者の神イメージは、漠然とした状態のものなのです。
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そういう「神」イメージでは、他の神々のイメージとの境界線を明確に引くことができません。
違いの区分線は、神イメージが明確に「理念化」していることによって可能になる。
理念というのは、人の心の中で、強力に働くものなのです。
在物神崇拝の国教では、他との区分が詳細におこなえない。
だから、他宗教への規制も持続しがたいのです。

<創造神>
創造神という神イメージは、そうではない。
それはまず人間の理念に導入されるものです。
その理念を抱いていると、事後的に、実感という感慨が得られていくようになる。
そういう神イメージです。
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創造神という神のイメージは、もともと人間の自然の感覚にはないものです。
外部から注入されることによって、はじめて人の心に明確に存在することになるものです。
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キリスト教の場合には、それは、霊的メッセージの受信記録として人間社会に導入されています。
まず、古代のイスラエル民族の中に超霊感者たちが周期的に出ました。
その彼らが受信したメッセージの中に、創造神の理念はありました。
ちなみに、彼らは後に預言者と呼ばれるようになっていきます。
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メッセージの発信者は、自らを、万物の創造神だと名乗りました。
そして、メッセージを与えた。
霊感者たちは、それを創造神からのメッセージと「信じて」記録した。
こうやって、創造神の神イメージは、人類社会に「外から」導入されてきたのです。

<創造神イメージには諸理念が連なっている>
だから創造神という神イメージには、明確に理念があります。
筋道があり理屈があります。
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たとえば、それは、「時間的空間的に無限者」である、というがごとくです。
他に、自分以外の万物を「言葉を発することによって創造した」、という属性も理念です。
「自らの内から、ひとり子と聖霊が出る」というのも理念です。
そのひとり子が、「自らを信じた人間を救う」というのも理念です。
「救う」とは、「人間の死後の霊を活き活きした状態に保ち、死後の審判で天国に迎え入れる」という意味です。
これもまた理念です。
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そういう、様々な理念がこの神イメージには繋がって、壮大な理念体を構成しているのです。
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これらの理念によって、人間は、この神を、他の神々のイメージと区別することが出来ます。
創造神を奉じる国家宗教は、みずからと他の神を拝する宗教を詳細に区分出来ます。
すると規制も詳細にできるようになり、取り締まり活動も持続するのです。

<戦前日本の国家神道の事例>
これを戦前の日本における国家宗教と比べてみましょう。
維新政府は日本の国家宗教を神道と定めました。
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神社の建物の中に内在しているとイメージできる神を、国家の神として礼拝することにした。
そして、神道以外の宗教活動を禁止しました。
その対策の一つが、廃仏毀釈でした。
廃仏毀釈とは、仏教を排斥し、寺や仏像などを壊す運動です。
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昭和の戦時が近づいていた時代には、大本教や天理教が崇拝する宗教器物を破壊しました。
だがその攻撃は荒々しく、短期的なものでした。
神道が奉じる在物神の神イメージがはっきりしないので、規制担当者にも、他宗教との区別の基準がよくわからなかった。
だから、規制行動は持続しません。
その結果、国家神道の最盛期だった昭和の戦時中であっても、人々は寺で葬式などの儀式をやっていました。

<西欧中世の国教は規制力が強力>
これが西欧史となると事態は異なってきます。
キリスト教が奉ずる創造神のイメージは、理念が構成しています。
創造神とそれに繋がる諸理念でもって、他の宗教、さらには、思想一般との区分でさえ明確に出来ます。
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それでもって、裁きの基準を詳細に作成することもできる。
中世に国家権力を得た教理統一教団は、異端審問裁判所というのを創設するところまでいきました。
そこで、人々の思想や言動を裁くといいうところまで、いってしまうことができました。
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ガリレオもジャンヌダルクもここでもって裁判にかけられています。
ガリレオは特定の住宅での蟄居の身となり、そこで生涯を終えています。
ジャンヌダルクは、死刑の判決を受け処刑されています。
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以上のように、国教と一口に言っても、それが人民に及ぼす規制力には差があることを知っておかねばなりません。
その奉ずる神が、創造神か在物神かによって、雲泥とも言える差異が生じる。
西欧史を正しく認識するには、この知識は必須なのです。

<幼稚な宗教知識>
それに関連する余談を一つのべて終わりましょう。
日本では、「西欧人は一神教で、ひっつの神しか認めないから独善的でかたくなだ。日本人は多神教で、他者の神を認め合うから寛容で柔軟だ」といった論議がまことしやかになされています。
知識人とされている人々も、ほとんどうちそろって、この種の見解を述べている。
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だが、これは表皮的な社会認識です。
拝される神が多数になるのは、在物神を信仰する社会では自然な帰結です。
あちこちの山や川、大木や巨岩、様々な彫像、死んだ先祖の骨などに各々神をイメージしていたら、神が多くなるのは当たり前なことだ。
文化特性というものは、そういう深層的なところでとらえないと、的確な社会分析の用具になりえません。
日本人も、「一神教・対・多神教」といったレベルの文化認識から、もう卒業せねばなりません。
今回はこれまでとしましょう。
(Vol.23 「国教」の規制力は「神イメージ」が左右する 完)

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