
こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、活動の歴史の話に入っております。
本日も続けて参りましょう。
前回には~
初代教会方式のキリスト教会は、発足後30年にして全ローマ帝国に普及した
~と述べました。
全土に聖句吟味をする小グループが散在するようになったのです。

<教会への攻撃が減少する>
一般に、新しい宗教活動は、当初は外部から攻撃されるものです。
とりわけ、急成長をみせると近隣者は気味悪く感じます。
そのあるものたちは、恐怖と怒りで集会を襲撃したもします。
けれどもある程度普及し、思ったほど有害でないとわかると、外部の人々の態度は変わはじめます。
その宗教教団を容認していくのです。
+++
キリスト教会は「来るもの拒まず、去る者追わず」の原則で活動します。
このように、対外的にオープンで、さらに社会奉仕も熱心にすることがわかると、好意すら持つ人も生まれます。
初代教会方式のキリスト教会は、大普及しました。
これほどに広がると、外部の人々の初代教会への警戒心は徐々に減少しはじめます。
こうして外部からの迫害が少なくなります。
時が経過すると、そういう状況になっていきました。
そして時代は、紀元後2世紀に入りました。
この頃には使徒たちはもう死んでいなくなっていて、後継者が教会を運営していました。

<迫害は参入障壁の役割をする>
迫害は現代企業でいう、いわゆる「参入障壁」の働きをします。
これがあるがために、人々は教会への参加をさしひかえる。
攻撃されるのが怖いからです。
+++
ところが迫害が少なくなると、恐怖を乗り越えて教会員になろう、という強い精神的動機が必要でなくなります。
それにつれて社会経済的恩恵が得られることを主な動機として、集団への参加を希望する人々が急増します。
+++
教会は発足当初から貧しい教会員への生活の世話をし続けてきました。
病の癒しも現れ続けました。
主にそういう恩恵を受けたいがために参加を希望する人の数が急増してきました。
+++
すると、この時代の新参加者の性格は、以前と様変わりしてきます。
一口に言えば、「大衆的」になってくるのです。

<新しい対応が必要になる>
前述のように、教会は「来るもの拒まず、去る者追わず」です。
みんな受け入れます。
だがそれらの新参加者への対応を担当する指導者は、新しい課題に直面しました。
+++
新参加者の多くは聖書を読んで考えたことがありません。
聖書への好奇心もさほど強くなかった。
裕福でビジネスに忙しく、教会活動に多くの時間を割くことが出来ない人もいたでしょう。
こういう人々に、小グループで聖句の自主的な吟味をさせておくことはできなかった。
会が機能しないのです。
彼らを担当した指導者は、あたらしい対応をせざるを得ませんでした。

<定番解釈を造り与える>
まずとにかく新参加者にも最低限の聖書の思想は知ってもらわねばなりません。
それには、教会としての聖書の簡素な要約を一つ作って、「これがキリスト教の教えだよ」と教えるしかありませんでした。
簡素な聖書の要約とは、すなわち定番の聖書解釈〈教理)です。

<霊的感動を演出で補填>
課題は、さらに現れます。
定番教理を聞いても、「聖書を知る喜び」は味わえません。
聖句吟味活動には、聖書を探究し新しい解読を発見することによる、興奮や深い感動があります。
霊的感動がある。
聖書知識が増える喜びもあります。
+++
ところが、定番解釈(教理)を聞くだけでは、霊的感動はほんの少々しか湧かないのです。
「初心者向けの旅行ガイド」を読んでも、実際に現地を旅行することによる感動が得られないでしょう。
これに似ています。
担当指導者たちは、霊感の充足不足を他のサービスで補填する必要に立たされました。

<荘厳な礼拝儀式>
サービスの代表は荘厳な雰囲気での礼拝儀式です。
指導者たちは日曜日〈聖日)に華やかで厳粛な礼拝を準備しました。
これは出席した大衆信徒に、敬虔な気分を与えます。
音楽は霊感を開く効果を持つので、賛美歌の合唱も取り入れました。
僧侶は、壮麗な式服で登場してあげました。
礼拝堂(聖堂)も献金でもって壮大にしていきました。

<週日にもサービスを>
指導者は、週日にも儀式サービスを提供しました。
一般信徒の日常生活の折々にも、神秘感あるサービスを提供するのです。
近親者が死んだら葬送の儀式をしてあげる。
結婚には結婚式をし、子供が生まれたら祝福の儀式をしてあげました。
信徒はその折々に、あらたまった霊的な気持ちになることができました。
儀式というのは、そういう働きをするのです。
+++
これはもう、初代教会とは様変わりな状況です。
以後しばらく、この新方式の教会を「新教会」と呼んで話を進めましょう。
(「キリスト教の正しい学び方」 第14回 完)

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます