Sightsong

自縄自縛日記

ビョーク『vulnicura live』

2017-01-11 07:09:31 | ポップス

ビョーク『vulnicura live』(one little indian records、2015年)を聴く。アナログ2枚組。

これまでに、2015年のビョークの音楽として、愛する者との別れをテーマにした『Vulnicura』、さらにストリングスを引きたてた『Vulnicura Strings』が出されたわけだが、本盤は、同年のライヴステージを収録した作品である。当初はごくわずかの限定盤が出されて、それは気が付いたときには姿を消していて、しばらく待ったあとに一般流通盤がリリースされた。

アルファベットを丹念に辿ることによって言葉を異化し、その持つ意味を再生させるようなビョークのヴォイスがある。それにストリングスが並走し、迫りくるサウンドを創り上げていることは、ヴァルニキュラの連作に共通している。それに加え、ライヴの生々しい臨場感がある。アナログの良さということもあるのだろうか。ストリングスの音が別々の活動として分離しており、その一期一会の感覚が、まさにライヴならではということを強く印象付けてくれるのだ。

すべての曲にじっくり傾聴する価値があるが、たとえば、「black lake」における割れた息遣いのようなサウンド(MOMAのビョーク展において公開された同曲の映像は凄かった)、「quicksand」において突如あらわれるビートなど、ドラマチックな展開を印象付ける曲が随所にあった。
 

メイシー・グレイ『Stripped』

2016-10-22 08:39:39 | ポップス

メイシー・グレイ『Stripped』(Chesky Records、2016年)を聴く。

Macy Gray (vo)
Ari Hoenig (ds)
Daryl Jones (b)
Russel Malone (g)
Wallace Roney (tp)

面子を見て吃驚。アリ・ホーニグ、ラッセル・マローン、ウォレス・ルーニー、これはコンテンポラリー・ジャズそのものじゃないか。ベースのダリル・ジョーンズにも引きかけたが、マイルス・デイヴィスと共演したベーシストの彼ではなくもっと若い人のようだ(スペルが違う)。

1曲目の「Annabelle」において、いきなり、マローンのギターが効いたカントリー・ブルースではじまる。この雰囲気は一貫していて、前作『The Way』で唄っていた「First Time」でも、やはりギターから入るしっとり感がある。もちろん、メイシー・グレイのハスキーで可愛い声もじっくり聴ける。いやイイなあ。またライヴ観たいなあ。

と言いつつ、あまりにもシンプルなつくりであり、せっかく個性的なミュージシャンたちを呼ぶのであれば、もっと野心的に暴れさせてほしかったところだ。マローンは良いとしても、ホーニグのまるで唄うようなドラミングも、ルーニーの魅力的なロングトーンもここにはほとんどない。勿体ない。

●メイシー・グレイ
メイシー・グレイ『The Way』(2014年)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』(2012年)
スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』(1972年、2012年)

●ウォレス・ルーニー
デイヴィッド・マレイ+ジェリ・アレン+テリ・リン・キャリントン『Perfection』(2015年)
『A Tribute to Miles Davis』(1992年)

●アリ・ホーニグ
アリ・ホーニグ@Smalls(2015年)
ジャン・ミシェル・ピルク+フランソワ・ムタン+アリ・ホーニグ『Threedom』(2011年)
アリ・ホーニグの映像『kinetic hues』(2003年)


中川敬@桜坂劇場

2016-10-16 08:45:01 | ポップス

那覇の桜坂劇場で、中川敬の弾き語りライヴがあるというので足を運んだ。わたしはもとよりソウル・フラワー・ユニオンを少々聴き齧った程度であり、ほとんど知らないのではあるが。

Takashi Nakagawa 中川敬 (vo, g)

いきなり森進一の「港町ブルース」を大音量でかけてステージに登壇、ジョニー・キャッシュのTシャツ。いきなり歌い始めたのは、浅川マキの「少年」、高田渡の「生活の柄」。太い声でこんなふうに変わるのか。つかみばっちりである。

歌った曲のほとんどは「ニューエスト・モデル」時代を含めたオリジナル(あたりまえか)。戦災孤児に想いを馳せた「地下道の底で夢を見てる」。奇怪な歌詞の「もっともそうな2人の沸点」。奴隷制に対抗して奴隷を北部に運ぶ「Undergrouond Railroad」について歌った「地下鉄道の少年」(JBの「Night Train」についてはスティーヴ・エリクソンも語っている)。阪神淡路大震災後に被災地でのライヴを頻繁に行い、その状況下であっと言う間に書いてしまったという「満月の夕」(いい歌!)。など。

さらにカバーも歌った。野坂昭如の「黒の舟唄」(野坂は、長谷川きよしや加藤登紀子のヴァージョンの方が売れてしまい拗ねていたという)。デイヴィッド・ボウイの「Changes」。タイマーズの「デイドリーム・ビリーバー」。ボブ・ディランの「Shelter from the Storm」。カーティス・メイフィールドの「People Get Ready」。

いちいちいい歌で、中川さんの野太く熱い声がアコギの音とともに脳内で反響する。シャベリもやたらと面白い。そして、「NO BASE やんばる!」と何度も叫んだ。この余韻がじわじわと浸透してきたころに、CDでひとつひとつの曲を味わってみよう。


阿部芙蓉美『EP』

2016-07-13 21:42:37 | ポップス

井上剛『その街のこども』は傑作だった(井上剛『その街のこども 劇場版』『その街のこども』テレビ版)。あまりにも最後に心を動かされるだけに、ぜんぜん意識していなかったのだが、大友良英と阿部芙蓉美による主題歌も、それだけで聴いてみると平常心ではいられない力がある。

そんなわけで、思い出して、阿部芙蓉美『EP』(3rd Stone F.T.S.、2014年)を聴く。(なお、「その街のこども」は本盤には収録されていない。)

息の風を起こすことによって、想いと生命力とが前面に押し出されるヴォイス。シンプルなビートとサウンド。

なるほどこれは魅力的。他のテイストの阿部芙蓉美も聴いてみたい。


Making of Björk Digital @日本科学未来館

2016-06-29 07:15:41 | ポップス

ビョークが、「Björk Digital ―音楽のVR・18日間の実験」という展示に合わせて来日している。2日間のDJイヴェントは即完売してチケットを買えなかったこともあって、その前日の映像の公開収録とトークショーに足を運んだ(2016/6/28)。

獣のお面をかぶって出てきたビョークは、カメラの前の決められた場所に立った。ビョークの周囲は発行源でまるく取り囲まれており、ストロボ光とともにビートが打ち鳴らされた。彼女は、胸を前に突き出し、両肘を後ろにギクシャクと動かすダンスを踊りながら、「Quicksand」(『Vulnicura』所収)を歌った。それが、リアルタイムでのライヴ・ストリーミングと、収録との2回。

生の動きも見ものだったのではあるが、パフォーマンスが終わったあとの休憩時間にiphoneで観た映像は、まったく別物だった。彼女は光と一体化し、激しく変貌し、最後は砂となって崩れていった。youtubeのアプリを使えば、指で360度動かしながら観ることができるようだった(わたしは使わなかった)。

休憩後のトークショーには、着替えて、ピンク色の靴、ピンク色のキラキラしたショール、そして針金による妙なものを頭と顔に装着して登場した。

彼女は話した。

『Biophilia』では自然とタッチスクリーン技術の要請で曲ができたが、『Vulnicura』はまず時系列のギリシャ悲劇的な曲があった。
―ニューヨーク近代美術館(MOMA)でのビョーク展のために「Black Lake」の映像を収録したとき、狭い部屋と2スクリーンという制約があった。その閉塞感にあわせて、谷間での映像とした。
MOMA PS1で公開した「Stonemilker」は、専用のメガネを装着し、ドーム内で360度の視界で観る映像。好きなビーチに連れていってもらって、上機嫌で収録した。
―いま、やはり『Vulnicura』に収録した「Family」を別のコンセプトで映像化している。
―そして今回の「Quicksand」。ストロボ光のビートと、曲の焦燥感とがマッチするのではないかと選んだ。
―口の中に入ってゆく「Mouth Mantra」もある。
―エモーションとテクノロジーとを融合させるのは自然なこと。大昔のヴァイオリンだってそうだったはずで、それは感情表現の大事なツールになり、『Vulnicura Strings』として結実した。かつては直接人と会わない環境ではパニックを引き起こしていたが、電話や携帯ができて、コミュニケーションの幅が広がった。
―自分は常に同じではない。一方で前に進む怖さもある。

そして社会とのかかわりについて問われ、さらに話した。誰だ、音楽に政治を持ち込むなとナンセンスなことを言ったのは?

―政治家も誰も、罪の意識が麻痺しているのではないか。地球も社会も大変なときに。
ーでも、できると思うし、方向を変えられると思う。音楽だって一緒でしょう。(ここは、ビョークの独特な英語が胸に刺さった。「I still hope we can do it.」「We can still turn around.」「I think it is the same with music.」と明確に語った。)
―創造力とテクノロジーとによって、私たちは方向を変えられる。

それにしてもビョークの言葉は胸に刺さってくる。彼女のちょっと不思議な英語の発音も魅力のひとつだと思うのだが、たとえば、巻き舌で「perhaps」と、丁寧に「equilibrium」と、それから言葉が自律しているかのように「emotional」「humanity」と発せられると、もう耳が彼女の言葉のひとつひとつに貼りついてしまう。それに加えて、発言のあとに、「I hope it makes sense.」「I always say too much.」と謙虚に付け加えるビョークをみていると、先の過激なビョークとはまるで別人、ひたすら可愛いのだった。

フルコンサートをやってくれないかな。

●参照
ビョーク『Vulnicura Strings』(2015年)
ビョーク『Vulnicura』(2015年)
MOMAのビョーク展(2015年)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(2015年)
ビョーク『Volta』、『Biophilia』(2007、2011年)
ビョーク『Vespertine』、『Medulla』(2001、2004年)
ビョーク『Post』、『Homogenic』(1995、1997年)
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』(1991、1993年)


アレックス・ギブニー『ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』

2016-06-19 22:21:29 | ポップス

アレックス・ギブニー『ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』(2014年)を観る。

いや面白い面白い。冗談抜きで面白く興奮する。JBという不世出の存在が、JBという音楽・ファンクという音楽を創り、時代を創り、時代に歓迎され、しかしその体内は複雑骨折していたことが実感できるドキュメンタリーである。

同時代を走った者の証言は実に多岐にわたる。まったく違うタイプのミック・ジャガーは心底可笑しそうに当時を振り返る。しかし、かれのバンドで働いたメイシオ・パーカーやピー・ウィー・エリスといったサックス奏者、ジョン・ジャボ・スタークスらのドラマー、歌手マーサ・ハイ、JBズとの金銭トラブルにより後任として呼ばれたベースのブーツィー・コリンズらが、いかにJBが偉大で革命的であったかを語る一方で、人を信じられず、おカネに貪欲であったかれへの嫌悪感も隠そうとしない。JBは余りある才能を持ちフル活用しえた者であったために、そうでない人びとに十分には共感できなかったのかもしれない。黒人の公民権運動への関わりも、明快ではない。

それにしても、JBのパフォーマンスをとらえた映像は圧倒的だ。短いフレーズを延々と繰り返し、観客の心をつかむ姿など笑ってしまうほかはない。同時代と後世の音楽家たちに大きな影響を与えたことも納得できるというものだ。プリンスやパブリック・エナミーだけではない。ゴスペル、R&B、ソウルからファンクへ、その流れにはジャズも絡んでいた。映像には「The Sidewinder」の演奏場面も出てくる。そしてJBを語る中心人物のひとりはなんとジャズベース奏者のクリスチャン・マクブライド。以前に吉田野乃子さんのコラムにおいて、ブルックリンの「Don Pedro's」という小さな音楽バーにお忍びでマクブライドが現れ、ファンクを中心としたDJをやったとの目撃情報があった。わたしもクリス・ピッツィオコスを観に一度だけ行ったことがあるが、失礼ながらバー裏のステージはまったく綺麗とは言えない小さいところである。いや、ビッグなマクブライドが・・・、本当にファンクが好きなんだろうね。その偏愛を爆発させたアルバムでも作らないのかな。

JBはステージ上でも暴君であったようだ。バンドメンバーは、一時たりともJBの挙動から目を離すことができない。予想できない展開を指示し、突然無茶ぶりしたりもするからだ(対応できないと罰金を払わされたという。おカネは禄に払わないくせに)。先日、サン・ラ・アーケストラのステージにおいて(Worldwide Session 2016)、バンドリーダーのマーシャル・アレンがアナーキーな指示を出し、メンバーが慌てふためいてソロを取る姿を目撃できてとても愉快だったのだが、サン・ラとJBとのつながりはどのようなものだったのだろう。どちらもゴージャスでプロフェッショナルなショーを魅せる人だったわけだし。


ジャグアー・ライト『Devorcing Neo 2 Marry Soul』

2016-04-17 09:11:56 | ポップス

テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』で予備知識なく接して、獣のような存在感にたじろいでしまった歌手のジャグアー・ライト。気になって、『Devorcing Neo 2 Marry Soul』(Artemis Records、2015年)を聴く。

いやなんというか、自らむしり取るようにして、喉を絞るように鳴らす声が凄い。ずいぶん際どい歌詞もあったり、俗っぽい歌詞もあったり。獣と性を前面に押し出していて、ほとんど威圧される。濃密すぎて、またダイレクトすぎて、まあわたしには百年早い。あるいは百年手遅れだ。

たしかにテリ・リンのアルバムのように、ジャズのサウンドの中で聴きたいところ。

●参照
テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』


ジル・スコット『Woman』

2016-04-16 09:11:52 | ポップス

ジル・スコット『Woman』(Blues Babe Records、2015年)を聴く。

というのも飛行機の中でつまみ聴きしてちょっと気に入ったからなのだが、こうしてアルバム単位で通してみると、また魅力を次々に発見する。

ジルの声は少し甘く、少しハスキーで、硬い樹脂のように滑らかでもあって、また特に声量を上げたときにはこもったような響きがある。ノリノリで突き進んでいても、「Jahraymecofasola」のように甘ったるくバラードを歌っていてもドキドキする。

最初はラップ的にはじまり、ション・ヒントンのギターがカッチョいい「Say Thank You」があって、ゴージャスでブルージーな「Back Together」があって、BJ・ザ・シカゴ・キッドとセクシーにハモる「Beautiful Love」でしめくくる。いやイイね~。


レイラ・ハサウェイ『Live』

2016-04-10 11:43:06 | ポップス

レイラ・ハサウェイ『Live』(Agate、2015年)を聴く。

Lalah Hathaway (vo)
Errol Cooney (g)
Jairus "J.Mo" Mozee (g)
Eric "Pikfunk" Smith (b)
Stacey Lamont Sydnor (perc)
Lynette Williams (key)
Bobby Sparks II (key, org)
Michael Aaberg (key, org)
Robert Glasper (key)
Brian Collier (ds)
Eric Seats (ds)
Jason Morales, Dennis "DC" Clark, Vula Malinga (vo)
DJ Spark (DJ)

もとよりレイラのことはダニー・ハサウェイの娘だということしか知らず、昨年ハーレムのアポロ劇場に観に行こうかなと思ったり(他のギグを優先した)、ブルーノート東京に行こうかとも思ったり(恋人たちのどうのこうのというキャンペーンで、面倒でやめた)。まあ、ダニー・ハサウェイだってそんなに聴いているわけでもない。要するにソウルとかR&Bとかはあまり知らない。

ところが、テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』ではその方面のヴォーカリストばかりを集めていて、とても面白かった。そんなわけで、このあたりを指針に聴いていこうと思っているのだが、中でもレイラの声は、低く、印象的だった。

ライヴ録音を集めた本盤も、ジャズ寄りのアレンジと編成で、素晴らしくいい。深く、低く、含みのあるレイラの声にとても惹かれる。仮にライヴに行ったとしたらレイラひとりを凝視するのだろうね。

「lean on me」ではロバート・グラスパーをフィーチャーしていて、かれのキーボードがサウンドに入ってくるとまたカッコいい。ジャズで聴いているから斜に構えて視てしまうのだ。(そういえば、ジョシュア・レッドマンが唯一いいなと思ったのは、ミシェル・ンデゲオチェロのアルバムにおいてだった。)

●参照
テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』(2015年)
ロバート・グラスパー@Billboard Live Tokyo(2015年)


メイシー・グレイ『The Way』

2016-02-25 07:36:26 | ポップス

メイシー・グレイ『The Way』(Happy Mel Boopy、2014年)を聴く。

ちょうどメイシーが来日してBillboardでライヴをやるというので、チラシを切り抜いて机の前に置いておいたのだが、やはり忙しくて諦めた。悔し紛れにこれを繰り返し聴いているのだが、やはりいい。ジャケットが地味すぎて勿体ない。

メイシーの超ハスキーで押し出しの強い声は同時に可愛いものでもあって、それによる最強のラヴソング。「First Time」で、「I've never felt this way... It's the first time, first time, for me... Give me love, give me love」なんて歌われて悶えてしまう。最後の「Life」では歓ぶ力を総動員したように、「Life! Is! Beautiful!」と絞り出し叫ぶ。ライヴもこれで締めくくったのかな。

●参照
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』(2012年)
スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』(1972年、2012年)


デイヴィッド・ボウイ『★』

2016-02-02 07:38:56 | ポップス

デイヴィッド・ボウイ『★』(Columbia、2015年)を聴く。

もとよりボウイの音楽は興味の対象外にあって、ニコラス・ローグ『地球に落ちてきた男』や大島渚『戦場のメリークリスマス』における俳優のイメージしかない。それでも、マーク・ジュリアナやダニー・マッキャスリンらの起用だと聞いて心が揺れていたところ、突然の訃報。

David Bowie (vo, g)
Donny McCaslin (sax, fl, woodwind)
Jason Lindner (p, Wurlitzer organ, key)
Tim Lefebvre (b)
Mark Guiliana (ds, perc)
Ben Monder (g)
Tony Visconti (strings)
James Murphy (perc)
Erin Tonkon (vo)

細くて枯れていて裏返るボウイの声が、くっきりと浮かび上がる。暗黒世界のような謎めいた歌詞と、それとは対照的な奇妙な明るさ。いやこれは、たまらなくすてきな作品である。

ジャズ的ではないアプローチで、ときにシンセサイザーのように、そのポップな雰囲気を創り出すダニー・マッキャスリンのサックス。相変わらずひとりの肉体が繰り出しているとは信じがたい、マーク・ジュリアナのパラレルビーツ。ベン・モンダーのギターは、まるで色付きの透明下敷きを通してみるように、雰囲気を一変させる。

なんでも、マリア・シュナイダーが、ニューヨークの55 Barに、マッキャスリンを観にいくべきだとボウイに勧めたのだという。実際にボウイが足を運んだのかどうか知らないが、あの暗くて親密な空間に現れたことを想像するだけで愉快な気分になる。名物オヤジと冗談を飛ばしあっていたりして。そのバンドでも、ジュリアナがドラムスを叩いている。そして、楽園的なポップなサウンドは、この作品に通じるものがある。

●参照
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)
ダニー・マッキャスリン@55 Bar(2015年)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)(マッキャスリン参加)
マーク・ジュリアナ@Cotton Club(2016年)
マーク・ジュリアナ『Family First』(2015年) 
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)(モンダー参加)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)(モンダー参加)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)(モンダー参加)


ビョーク『Vulnicura Strings』

2015-11-21 10:17:50 | ポップス

ビョーク『Vulnicura Strings』(one little indian records、2015年)を聴く。

『Vulnicura』において、ビョークは肉声に近いストリングスを再び迎えたわけだが、この盤では、さらに極端に、ストリングスのみと『Vulnicura』の曲を再演している。「stonemilker」も「black lake」も「lionsong」も、まるで必然のように姿を変えた。

やはり強烈なジャケットは、エマニュエル・レヴィナスが予測不可能なものに顔を晒せと説いたことを思い起こさせる。ヴァルネラブルな自己を追及するサウンドは、シンプルな形によって純化され、依存するものが乏しいというあやうさとともにじわじわと迫ってくる。

●参照
ビョーク『Vulnicura』
MOMAのビョーク展
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』
ビョーク『Post』、『Homogenic』
ビョーク『Vespertine』、『Medulla』
ビョーク『Volta』、『Biophilia』


平野久美子『テレサ・テンが見た夢』

2015-09-17 23:13:42 | ポップス

平野久美子『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』(ちくま文庫、2015年)を読む。

テレサ・テン=麗君は、台湾の外省人として生まれ、香港や日本で大スターとなり、さらには東南アジアでも、堕落するものとして禁じられた中国本土でも、非常に大きな影響力を持ち続けた。アイデンティティの違いはあるにせよ、彼女の人気は、それぞれの場所で生き延びる人たちが失った故郷や心の拠り所を求めんとする意思に支えられた。すなわち、華人ネットワークである。

その意味で、著者が言うように、テレサ・テンと麗君とは別のコードであったという見方が正しいのだろう。大傑作『淡淡幽情』において聴くことができる世界を包み込む力と、「つぐない」や「時の流れに身をまかせ」などにおける日本の男の妄想を支える力とは、明らかに違うものであるから。(もっとも、後者のテレサの声も素晴らしいものだ。)

ナイーヴに過ぎて、自滅したのだろうか。もしかすると、生き続けて新たなヴィジョンを切り開くパートナーに恵まれていれば、ワールド・ミュージックという新しい世界でまた活躍したかもしれない、という著者の想像には、少なからず驚かされる。

今日もまた、私たちにとっての天安門事件。生き延びようね。

●参照
テレサ・テン『淡淡幽情』
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう(2)
宇崎真、渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』
フェイ・ウォン『The Best of Faye Wong』、『マイ・フェイヴァリット』
楊逸『時が滲む朝』


武満徹の映画音楽集 『夢の引用』

2015-09-13 23:21:30 | ポップス

武満徹が作曲した映画音楽を集めた、『夢の引用/Quotation of Dream - Love and Soul of Toru Takemitsu』(Intoxicate、2006年)という風変りなアルバムがある。

鈴木大介 (g)
Brandon Ross (g, African harp, vo)
Stomu Takeishi (b)

風変り、というのは、モチーフもさることながら、クラシックギターの鈴木大介とジャズギターのブランドン・ロス、ジャズベースのツトム・タケイシというコンビネーションについても言える。これが素晴らしく、また、「○と△の歌」などにおけるロスのヴォーカルもなめらかで良い。

武満徹については、映画音楽以外ろくに聴いていないのではあるが、けだるく、甘酸っぱく、諦めたような感覚の曲が少なくないような気がしている。それを名手3人にこんなふうにしっとりと弾かれると降参である(何に?)。

「狂った果実」といえば、ジョン・ゾーンが太田裕美やクリスチャン・マークレイを起用して取り上げた『Spillane』がどうかしている代物だったが(武満の曲ではない)、ここに収録された演奏も静かに狂っている。

●参照
武満徹『波の盆』
元ちとせ『平和元年』(武満徹と谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」を歌う)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(武満徹の「他人の顔」を演奏)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(ブランドン・ロス)
ヘンリー・スレッギル(10) メイク・ア・ムーヴ(ブランドン・ロス、ツトム・タケイシ)
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75(ツトム・タケイシ)
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱(ブランドン・ロス)
ヘンリー・スレッギル(1)(ブランドン・ロス)
マイラ・メルフォード Snowy Egret @The Stone(ツトム・タケイシ)
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』(ツトム・タケイシ)


元ちとせ『平和元年』

2015-07-25 09:27:32 | ポップス

元ちとせの久しぶりの新作!『平和元年』(Ariola、2015年)には、題名通り、平和と反戦の歌が集められている。

デビュー時から落ちていく声量と、逆に過剰になっていくこぶしとが不満に思えてしかたがない時期があった。確かにこのアルバムでも、最終曲「さとうきび畑」はデビュー前の19歳のときにデモ録音したものであり、その伸びやかな声は現在と明らかに異なっている。

だが、もはや、このように作品を出し続けてくれれば、そんなことはどうでもよいのだ。声が変化していくのは当然であり、依然、元ちとせは強烈な個性を発散している。すべて味わい深い歌唱ばかりである。

ピート・シーガーの「腰まで泥まみれ」では、ただひたすらに「進め!」と叫ぶ隊長を「馬鹿」と見限り、引き返す兵隊を歌う。松任谷由実の「スラバヤ通りの妹へ」では、「日本」に向けられた視線を受け止めて歌う抒情。谷川俊太郎と武満徹のコンビによる「死んだ男の残したものは」では、「死んだ兵士の残したものは/こわれた銃とゆがんだ地球/他には何も残せなかった/平和ひとつ残せなかった」と、敢えて大きな物語を棄てて戦争を直視している。そして、坂本龍一のキーボードに伴奏されて歌う「死んだ女の子」。

プロテストソング集としても、成熟した歌手の作品のひとつとしても推薦。

●参照
元ちとせ『Orient』(2010年)
元ちとせ『カッシーニ』(2008年)
元ちとせ『Music Lovers』(2008年)
元ちとせ『蛍星』(2008年)
『ミヨリの森』(2007年)(主題歌)
元ちとせ『ハイヌミカゼ』(2002年)
元ちとせ×あがた森魚
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(ナレーターとして参加)
『ウミガメが教えてくれること』(出演)