Sightsong

自縄自縛日記

新東宝(1) 阿部豊『細雪』、溝口健二『雪夫人絵図』

2009-04-02 23:22:08 | アート・映画

私にとって、新東宝のイメージは、中川信夫のカルト映画『地獄』に代表されるようなマガマガしいものだ。だが、そういった路線以外にも戦争もの、歌謡もの、文芸ものなどがあって、実は多彩である。CS局のチャンネルNECOのプレゼントで招待券が当たったので(出したことも忘れていた)、六本木シネマートで2本ほど観た。

阿部豊『細雪』(1950年)

のちに市川崑によってもつくられるが、これは最初の映画化。大阪の没落しつつある旧家の四姉妹の行く末を描いている。関西弁のまったりしたやり取りが独特のテンポを生み出し、こちらを何故か落ち着かせるのは愉快だ。因襲や関係にがんじがらめに囚われ、四女役の高峰秀子が爛漫で可愛い姿から、荒れて家から追われる姿までを演じるのを観ると、やっぱり上手い女優だなという印象を強くおぼえる。

田舎で育ったひとならわかると思うが、古き悪しき日本のイエとムラは理性も感情も本当にがんじがらめなのであって、当然そこには差別も隠しようも無く存在する。何だか身につまされてしまうぞ。

ところで、高峰秀子が結婚を決意する相手のカメラマン(病気で死んでしまう)が使っていたカメラは、1930年代のコンタックスI型だった。真っ黒の、フィルム巻上げノブがカメラの前面にある奇妙なタイプだ。この初期型に触ったことはないが、間違いなく巻き上げは固い。映画でも、カメラマンは巻き上げにくそうにしていた。映画は1950年だが、話の舞台は戦前の40年代であり、時代考証上は問題なさそうである。


溝口健二『雪夫人絵図』(1950年)

放縦な故人の父と夫によって、旧家は熱海の家を残して没落する。妻(小暮実千代)は、理性では夫と別れたいと切望しているが、性欲のためにそれが叶わない。熱海の家は夫に取り入った男女に乗っ取られ、妻は死を選ぶ。もう夢も希望もなく、救いようのない話だ。

物語の悲惨さはともかく、最初から最後まで、トーンが出た美しいモノクロ画面に眼が釘付けになる(本当)。熱海の海岸をバックに丘の上の家を撮ったシーンなど、明るい背景を焼きこんだように露出が揃っていて見事だ。暗い家屋のなかの光と影のバランスも素晴らしい。おそらくはレンズの絞りをかなり開けていて、前ボケと後ボケとが強調された撮影がなされている。また、絞り開放ということもあって、収差が思い切り残っていて、ピントが合っていてもフレアがかっていて柔らかい描写は、まさにオールドレンズの魅力である。私の持っているレンズでいえば、戦前のライカレンズ・ズミターなんかの雰囲気に共通するものがある。

あとで調べてみると、宮川一夫が溝口と組んだのは何年か後だ。この映画では、小原譲治というカメラマンが撮影している。果たしてこの凄い画面、溝口と小原のどちらが支配したのだろうか。もちろん、不在の瞬間の気配を撮る方法や、クレーンを使った上からの湖畔の撮影などは、溝口の意志に違いないとは思うが。良い物を見せてもらった。