Sightsong

自縄自縛日記

萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』

2009-04-01 23:38:35 | 関東

インターネット新聞JanJanに、萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(編集工房 朔、2008年)の書評を寄稿した。

>> 『農地収奪を阻む』の感想

 成田空港の建設が現在の三里塚の地に突然計画されたのは、1960年代のことである。それまで、近隣の富里、浦安沖、羽田拡張などの案があったものの、最終的には、一部の政財界のみによる決定がなされた。国策や一部の層への利益を最優先し、住民のことは一顧だにしないあり方は、現在の基地建設を巡る状況を見ても明らかなように、全く変わっていないと言ってもよい。本書は、その優位に立つ権力に40年以上も抵抗し続けている農民による記録である。

 リアルタイムで接してきた世代ならともかく、現在感覚的には、成田空港は三里塚闘争とセットで考えられる存在ではなくなっているのが現状であろう。たとえ知識として知っているとしても、だ。例えば、3月29日に投票が行われた千葉県知事選の候補者たちが、成田空港の発着を増やすことについての考えを回答している(
ちば知事選2009 候補者アンケート『東京新聞』3月26日)。5人のうち4人は、地元への配慮を口にしつつも、あくまで空港機能の増強を謳っている。すなわち、その「配慮」の優先度を低く位置づけたところで、有権者に悪印象を与えないものと想定しているということなのだろう。なお、当選した森田健作候補も、やはり「地元市町と連携を図り」という修飾語を付すにとどめている。

 しかし、三里塚での国家による暴力が過去の歴史でなく、現在も続いていることを知ったならば、多くの有権者の受け止め方は一変するに違いない。三里塚の住民にとって、土地、生活環境、個人史が理不尽に収奪される脅威は、紛れもなく国家権力の暴力やカネの力に起因している。そして、過去の過ちを認め、話し合いによる解決を宣言したはずだが、なお、新たな滑走路を農地や住宅の隣に建設しているのである。昨年、三里塚から移転しないことを「ごね得」と表現した政治家がいたが、実態はまったく逆なのだ。

 本書では、空港建設に抵抗しながら続けている産直方式での農業の経験を元に、日本の農業の歪んだ現状をも示している。減反政策や市場自由化などを通じて進んできたグローバリズムが、いかに危うい世界を作り出しているか、ということである。中国の食品安全性の問題などを契機に、食糧自給率の回復が必要だと叫ばれるようになってはいるが、これとても食糧を確保する上でのセキュリティを主に論じているわけであり、生活基盤としての農業のことに問題意識が及んでいるとは言えまい。その意味で、本書で示されているような経験と提言は、読者それぞれが自分の生活哲学の問題として捉えるべきものではないか。

◇ ◇ ◇

●参照
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)


ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』

2009-04-01 00:16:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

組み合わせが気になって、ディスクユニオンで試聴したところ、すっかりやられてしまって入手した。ジョー・マクフィー(テナーサックス、ポケットトランペット)とポール・ニルセン-ラヴ(ドラムス)のデュオ、『明日が今日来た(Tomorrow Came Today)』(SMJZ、2008年)である。

1曲を除いてはすべてテナーサックスを吹いている。最初のタイトル曲から、エヴァン・パーカーのような微分的な摩擦音を使ったアプローチで、ひたすら格好良い。曲によっては、静寂を活かした調子であり、疲れて帰宅後部屋で聴いていたら、一瞬意識が火星に飛んでいってしまった。また、最後の2曲では楽器を鳴らしきる印象が強く、聴いていて気持ちが良い。当然だが、だからといってバップ的な「ノリの良さ」は無く、繰り返しと発展である。

ポケット・トランペットとドラムスのデュオといえば、ドン・チェリーとエド・ブラックウェルのデュオ『MU』を思い出す。ただ、ここでの演奏は、チェリーのような叙情性に流れるものではない。

ポール・ニルセン-ラヴのドラムスは、オーソドックスな演奏も、多彩な演奏もあり、難なく凄いレベルを示しているように聴こえる。何度も来日しているが、実はまだ実際に観る機会がない。おそらく、録音を聴くようなものを上回って、とてもパワフルなのではないだろうか。

この2人の演奏、変な予定調和が無く、聴きやすいのに過激であり、嬉しくなってしまった。

ジョー・マクフィーの録音は、これまでに『Sweet Freedom - Now What?』(hat ART、1995年)の1枚しか聴いたことがなかった。マックス・ローチに関係する曲を追求したアルバムであり、これも妙だ。妙だ妙だと思いつつ、時折聴いては、ヘンな人だなと思っていた。全体を通じて大きなドラマ性がなく、そのために抑制された、ミニマルな雰囲気を感じていたのだが、これもミクロには偏執している。ローチを看板に掲げながら、グループはマクフィーの木管(テナーサックス、ソプラノサックス、クラリネット)、ベース、ピアノのトリオであり、ドラムスが入っていないのもひねくれている。

追いかけていけば、マクフィーからは楽しい内面を見せてもらえそうな予感がする。