平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』(幻戯書房、2004年)を読む。同じ著者の『白球礼讃』や『ベースボールの詩学』が滅法面白かったこともあって、古本屋の棚に見つけて即購入決定。
本書はごく短い連載エッセイを集めたものであり、それだけに、この詩人の話の切り上げ方が潔く、ちょっとほれぼれする。海外滞在のこと、自動車免許取得の苦労話、クルマや中古カメラへの偏愛、そしてもちろん野球のことなんかが書かれている。文体は気取ってはいるものの、ときに自虐的でもあったりして、威張ろうとか自慢しようとかいった魂胆などはまるで見えない。なるほど、文章はこうあらねばならない。
ときどき登場する画家、ドナルド・エヴァンス。かれはアメリカで生まれ、架空の国の架空の切手を書き続けた。通貨や言語も、文化や歴史や政治も妄想した上で、である。そしてオランダにおいて火事に巻き込まれ、31歳のごく短い生を終えた。頭の中にひっかかって離れないもの、小さなもの、極めて個人的なものにこだわって、それをやはり個人的な形にしていったところが、この詩人にも重なってみえる。
それにしてもこの一節。
「あれから私は、なんと多くの失敗をやらかしてきたことだろう。思うだけで気が遠くなる。落としもの。忘れもの。見過し。乗り過し。書き損じ。打ち損じ。サードゴロエラー。器物損壊。自己破損。激昂。寝坊。いうべきだった一言。いわなければよかった一言。エンスト。
そうしたものは、今日もやったし、明日もやるだろう。」
はい、『無垢の歌』にバットを持つ少年の絵があったという内容の短いエッセイがひとつ。それから別の短いエッセイで『月の中の島』からの引用。少ないといえば少ないですね。