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自縄自縛日記

玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢』

2015-02-08 22:20:55 | 政治

玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢 志を継いだ青年たちの物語』(平凡社新書、2012年)を読む。

大川周明。戦前のアジア主義者として高名な存在だが、頭山満、内田良平、宮崎滔天らと同様に、正体のつかめぬ妖怪的な印象が強い(もっとも有名なのは、東京裁判のときに後ろから東條英機の頭をはたいた事件かもしれない)。大川周明にゆかりのあるOさんに訊ねると、多産の大川家にあって子を残さなかった大川周明は異色であったとのこと。そのかわりに、大川塾(東亜経済調査局附属研究所)において、多くの思想的な子たる人材を輩出した。

本書は、大川塾の塾生たちによる戦前・戦中の活動を描く。かれらは、外務省や軍部の支援のもと、商社の派遣社員や軍の機関のスタッフなどとして、仏領インドシナ、タイ、ビルマ、インドなどに潜入した。その目的は、情報収集であり、日本の「南進」のための事前工作であった。(東南アジアへの「南進」が、アメリカに資源の輸出を絶たれたことなどによる資源獲得の侵略戦争であったことはよく知られている。)

一方では「アジア解放」という大義があり、大川周明も、大川塾の面々も、ひょっとしたらそれを信じていたのかもしれない。しかし、如何に高邁な思想があろうとも、「南進」は大川自身の戦略としてあった。また、結果として、「独立」は侵略のための鼻先のニンジンとして使われたことは否定できないだろう。タイは日本の軍事的脅威によってやむを得ず協定を結び、ビルマの独立運動家たち(アウン・サンなど)は日本と同調しつつも最後には抗日放棄し、インドの独立運動家たち(両ボースなど)は日本の帝国主義を肯定していた。すなわち、軍にいいように利用されたという結論では不十分で、アジア主義なる思想が侵略的・パターナリズム的な要素を孕んでいたということになろう。

そのことは、本書に引用されている塾生たちの言葉にあらわれている。

「日本がアジアを解放したのか?(戦争と独立の関係は)たまたまではないと思う。でも向こうの人たちはたいてい”日本のおかげ”とは思っていないでしょう」
「東亜の解放というのは、スローガンではあっても、軍の本当のインテンションではなかったと思います」
「日本人は”われわれの指導のもとに”と考える。だから土地の人と馴染むことができないんです。日本が盟主?それは間違いですよ」
「日本軍の勝利があって独立があるのだという姿勢には嫌悪しか覚えなかった」

それはそれとして、この眩暈がするほどのヴィジョンと先駆性には、読んでいて圧倒される。この水準は簡単に切り捨てることができるようなものではないだろう。

最近、いとうせいこう氏のツイッターに、以下のようなものがあった。

●参照
中島岳志『中村屋のボース』(大川周明はボースを匿った)
森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』(大川周明が張学良を扇動したとある)
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
波多野澄雄『国家と歴史』


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