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自縄自縛日記

梯久美子『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ』

2016-12-19 09:59:07 | 思想・文学

梯久美子『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社、2016年)を読む。

島尾ミホというひとには、神がかり、狂、ナラティブな語り部など、さまざまに謎めいていてよくわからない面がある。そのすべてが、いまや、神話のなかにとじこめられてしまった感もある。

本書は、生前のミホへのインタビューや、関係者の証言、そして存在が知られていなかったミホの日記などをもとに、ミホと夫・島尾敏雄の生涯を明らかにするものだ。わたしにとっては、島尾敏雄『死の棘』があまりにも怖い作品であったので(小栗康平による映画は、大したことはなかった)、その後発表された敏雄による『「死の棘」日記』など開くこともできなかった。しかし、本書は、おそらくは『「死の棘」日記』よりも怖ろしい。なぜならば、『「死の棘」日記』にもミホの操作による神話化が施されており、そして、それらの作品に描かれたものはすべて事実であり、かつ、同時に人生をくるむ虚構でもあったからだ。

ミホの人生も、敏雄の人生も、書き、書かれることによってのみ成り立っていた。それは人間の業というだけでは生ぬるいほどのものだった。

従来、ミホは奄美の巫女的な存在であったとされ、軍人として赴いた敏雄との愛が伝説的に語られてきた。しかし、それこそが語り・語られのはじまりであった。ミホは東京で暮らし、かつての恋人が棲む朝鮮半島にも立ち寄って、奄美に戻ってきたハイカラ娘であった。敏雄は、決して単なる優しい軍人ではなく、黙って性病をミホにうつし、沖縄と同様に奄美が「本土の捨て石」たることを認識しており、米軍が侵攻する前に撤退するという行動の欺瞞も認識していた。敏雄は、慶良間諸島における「集団自決」の報道を目にして、あのように責められる者が自分であったかもしれぬと戦慄していたという。だからと言って、その神話がウソであったというわけではない。

また、戦後ふたりが結婚してから、敏雄の放蕩・浮気と、それによるミホの発狂、そしてそれを機に、ミホの敏雄への完全支配がはじまる。『死の棘』の時代である。それも、驚くべきことに、語り・語られにより成立した。おそらくは、敏雄はその事実をミホに気付かせるように書いたものを露出し、その結果が敏雄の文学となっていった。敏雄だけではない。ミホも、自分の物語を形作ってゆくために、いずれ文学=人生にするために、すべてを記録した。そして、(意図しての)結果として、敏雄の浮気相手「あいつ」は、顔の見えない記号としてのみ機能した。残酷といえば残酷過ぎることである。

文学=人生という業により、敏雄は疲弊し、生命力を失っていった(しかし、ミホの狂という文学により、活力を取り戻してもいるのだ)。それと前後して、ミホ自身の物語は、敏雄の物語を通過したものから、ミホ自身の語りへと変化していった。どうやらここで、ミホは、奄美の古層へと遡っていった。かつて真実でもあり創作でもあった自身の神がかりを、自分自身のものとして取り戻したようにも見える。敏雄が書き、ミホがレコードに吹き込んだ『東北と奄美の昔ばなし』(島尾ミホさんの「アンマー」)や、『海辺の生と死』や、また後年に伊藤憲『島ノ唄』における朗読で垣間見せてくれた世界である。

そして敏雄の死後は、敏雄の文学を中心としたふたりの愛の世界を伝説とすることに集中した。他のものはあえて捨象して。不自然なほどにナラティブに語る姿が、アレクサンドル・ソクーロフ『ドルチェ 優しく』にとらえられているが、そういうことであったのだ。

わたしは読後のいまもまだ、恐ろしさに震えんばかりである。

本書について、『死の棘』とどちらを先に読むべきかという話題が出ているが、わたしは、まず『死の棘』、そして他の島尾敏雄の作品を読んでから本書にあたってほしいと思う。時間はかかるが急ぐものではないから。いずれにしても大変な作品である。

●島尾ミホ
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』(2003年)
アレクサンドル・ソクーロフ『ドルチェ 優しく』(2000年)

島尾ミホ『海辺の生と死』(1974年)
島尾ミホさんの「アンマー」(『東北と奄美の昔ばなし』、1973年)

●島尾敏雄
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』(1990年) 
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想(1977年)


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1 コメント

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2016-12-24 20:36:58
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