青山のブティックの2階が「テアトルタートル」と称し、定期的に映画の上映を行っている。ギャラリー「ときの忘れもの」の案内で、ここで、ジョナス・メカス『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』(1977年)の上映があると知り、直前に予約を入れて足を運んだ。定員20人の20番目だった。
行ってみるとバーのような狭い空間に、16ミリの映写機が置いてある。これは嬉しい。
『リトアニアへの旅の追憶』(1971-72年)では、女性の脚を見つめているうちは結婚なんてできないと言われた、と呟いていたメカスだったが、その後、50歳を超えてホリスという女性と結婚し、長女ウーナが生まれている。この映画は、ウーナが3歳を迎えたころの様々なフッテージからなる集合体であり、メカスの典型的な映画作りのスタイルだ。
約90分の間(もっとも、リールを2回取り変えるのだが)、何度となく、「Life goes on」、「These are the fragments」という活字のボードが示される(ドイツ語のウムラウトだけは手書きなのが愛嬌)。その通り、あらためて言うまでもなく、すべてはフラグメントであり、そんなことを言っている間にも人生は進んでいく。
カメラは揺れ動き、瞬き、視線を彷徨わせる。その先には、ホリスや、ウーナや、皆で再訪したリトアニアでのお母さんや、親戚たちや、ペーター・クーベルカなど友人たちがいる。メカスのフィルムを何度観ても、自分の人生となぜか重ねあわせてしまうメカス体験があるのはなぜだろう。それは、メカスのフィルムが徹底的に個人的なものであるからだと思える。
メカスは映画の冒頭で、確か、ウーナにこのように語りかける。「Oona, be idealistic... not be practical.」と。なんていい言葉だろう。
映画は、雪のニューヨークで、ニコラス・レイの死を知ることで締めくくられる。もちろん、このことと映画とは関係がない。それゆえにこの映画が独自なものとして成立している。
ところで、リトアニアでは、ミカロユス・チュルリョーニスの生家を訪れる短い場面があった。『リトアニアでの旅の追憶』での印象深いピアノ曲を作曲した音楽家であり、また、ユニークな画家でもあった。思い出すと何か聴きたくなってきた。
●参照
○ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
○ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
○ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
○ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
○ジョナス・メカス(5) 『営倉』
○ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
昨日、お越しくださったお客様でこちらのブログをいつもご覧になっている方がいらして教えてくださっていたので、先ほど、Googleアラートでこちらがヒットしたときには驚きました。
ご挨拶もできず、残念でした。また何かの機会にお目にかかれましたら、幸いです。
こちらこそ、16mm映写機と同じ部屋でメカスの映画を観るという嬉しい体験をさせていただき、ありがとうございました。わたしも含め、あの場のたぶん全員が、メカスの明滅する映像に半ば苦しみつつ、幸福感を受けとめていたのではないかと思います。
また次の機会にご案内いただければ嬉しいです。