NHK-BS1で放送された『沖縄が日本に還った日~1972.5.15~』(2012/5/18)を観る。
40年前の1972年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還された。その際、「復帰」を受けとめた沖縄人たちの振り返りをまとめた番組である。ある者は呑みながら過ごし、琉球電電公社は電話のつなぎ直しに追われ、那覇港の船は一斉に汽笛を鳴らし、車は一斉にクラクションを鳴らし(警察は道路交通法に違反するためできなかったという)、ある者はまだ間に合うと赤線に駆け込んだりして、そしてランパート高等弁務官は嘉手納を後にした。
しかし、嘉手納基地などから米兵が繰り出してくる街・コザ(現、沖縄市)では、なんら雰囲気は変わらなかった。ある「Aサインバー」は、ベトナム戦争に派遣される米兵たちが、その前にあるだけのオカネを使っていく場と化しており、1日2000ドルもの売り上げがあった(家が建つほどの金額)。経営者たちは、基地はあってほしいと呟く。「復帰」に伴い公共施設が建設され、軍用地代が入ってきて生活が成り立つようになった伊江島では、「ここに限っては基地があったほうがよい」と明言する方もいる。また、ロックバンド・紫のドラマー宮永英一さんは、アメリカになった方がよかったと言う。
そのような声がありつつも、沖縄は「復帰」を切望する盛り上がりを見せ、そのうち、「復帰」前後から、米軍基地がそのまま残されることが明らかとなりその声が失望に変わっていったのだとする。佐藤栄作首相が「復帰」という成果を誇らしげにアピールする一方、屋良朝苗(初代知事)は、基地のない沖縄を求めた建議書を日本政府に門前払いされ、怒りの露わにしていた。そして、復帰記念式典が行われた那覇市民会館の隣にある与儀公園では、土砂降りの中、激しい反対運動が繰り広げられた。行政側に身を置いた方々も、身を切られるような思いであった。
経済的な打撃は大きいものだった。基地が残る一方で基地労働者は大量解雇され、ドルから円への通貨切り変えで資産価値が目減りし、コメの輸入禁止によって食べられるコメが「古米」「古古米」となり、住民たちは引き裂かれた。
元「ひめゆり学徒」の島袋淑子さんや、1987年に読谷平和の森球場で行われた沖縄国体において日の丸を燃やした知花昌一さん、アイデンティティを日本ではなく沖縄に求める佐渡山豊さん(インタビューは「どぅたっち」かな?)、沖縄県教職員組合の先生たちが登場し、その実状を口々に語っている。特に、沖縄にとって、平和憲法の受容は自らの意志として、その意義を捉え直してのものだったということが印象的だ。
さまざまな立場や考えの声を紹介する、一見良い番組である。しかし、基地経済への依存度が年々小さいものとなり、いまでは5%程度に過ぎないことは言及されていない。まるで、現在でも基地を残してほしい立場と出て行ってほしい立場とが同様に存在するような印象を抱かせることに、大きな違和感を覚える。40年前と現在とのつなぎがいかにも恣意的なのである。おそらく、何を批判されてもかわせるよう、反対の要素をバランスよく配置したのだろうね。
●参照
○『世界』の「沖縄「復帰」とは何だったのか」特集
○60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
○知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』
○エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
○森口豁『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』
○森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』
○森口豁『アメリカ世の記憶』
○森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
○森口カフェ 沖縄の十八歳
○テレビドラマ『運命の人』
○澤地久枝『密約』と千野皓司『密約』
○由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
○久江雅彦『日本の国防』
○久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
○『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
○終戦の日に、『基地815』
○『基地はいらない、どこにも』
○前泊博盛『沖縄と米軍基地』
○屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
○渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6)
○押しつけられた常識を覆す
○大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
○鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
○アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
○ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』