Sightsong

自縄自縛日記

高柳昌行1982年のギターソロ『Lonely Woman』、『ソロ』

2011-08-28 00:15:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

高柳昌行についてはさほど熱心なファンでもないのだが、今年、『ソロ』(JINYADISC、1982年)が発掘公表されたというので入手した。1982年12月、横浜エアジンでのライヴ録音であり、実は、同年8月にスタジオ録音されたギターソロ、『Lonely Woman』(VIVID SOUND、1982年)の4ヶ月後にあたる。

演奏曲はほとんど共通しているが、聴き比べてみると随分異なる。12月のエアジンでの演奏前にも、「今日はレコーディングした8月から4ヶ月経つのでレコードとは中身が全然違うわけです。だからレコードを買って聴いていらっしゃる方はあまりに違うので驚かれると思います」との挨拶をしている。もっとも、稀代の即興演奏家・高柳のことゆえ当然かもしれない。

オーネット・コールマンの「Lonely Woman」では、12月版ではなかなかテーマメロディーが現れず、リー・コニッツ『Motion』と同様に、即興演奏があるところまで行きついてしまった感がある。そのコニッツの「Kary's Trance」では、8月版が恐る恐る(と言って悪ければ、慎重に)抽象的な構造物を組み上げる緊張感を持つのに比べ、12月版ではより手慣れた感じで、構造物の裾野を拡げてみせている。チャーリー・ヘイデンの「Song for Che」でも、そしてコニッツの師匠格にあたるレニー・トリスターノの「Lennie's Pennies」でも、12月版は8月版よりも太く迫力のある音で攻めている。

ソロに先立つ3年前、『Cool Jojo』(TBM、1979年)においても「Lennie's Pennies」が演奏されている。そこでは、ギター+ピアノトリオという編成のこともあって、随分とスインギーだ。逆に高柳のソロの特色が浮き出てくる。

ノイジーなバンドの高柳音楽では意識しないが、高柳のギターはグラント・グリーンにも共通する、太くホーンのような音を持つ。別に初期の『銀巴里セッション』(1963年)における「グリーンスリーブス」演奏が異色なわけではない。それが、牛刀を使うように、ある種の覚悟を持って一音一音を繰り出していくことによって、さらなる迫力を生んでいる。たまのエフェクトや和音には、それだけに、安堵させられる。

『ソロ』には、特典CDとして『中途半端が何かを狂わす』と題された1989年12月の高柳のスピーチ録音が付けられていた。聴客の無理解に苛立ちを隠さない、怒気を孕んだ肉声である。妥協を許さないといえば聞こえはいいが、気難しい人だったのだろうか。渋谷毅オーケストラが、その誕生においては高柳オーケストラであったことはよく知られている。彼が急逝せず音楽活動を続けていたなら、このオーケストラはどのように発展したのだろう。

●参照
翠川敬基『完全版・緑色革命』


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