大島渚によるテレビ作品『大東亜戦争』(1968年)を観る。
岸信介の揮毫によるタイトル画面からはじまり、日本人の戦死者数で締めくくられるこのドキュメンタリーは、冒頭に以下の但し書きが付くように、当時の日本という文脈の時空間を提示する。
「このフィルムは、すべて大東亜戦争当時、撮影されたものである。/言葉、音、音楽もすべて当時、日本人によって録音されたものである。/外国から購入したフィルムも、すべて当時の日本人の言葉でつづった。/これは、私たち日本人の体験としての大東亜戦争の記録である。」
この映像からは、既に開戦当初から、戦死した軍人を「英霊」と呼んでいたことがわかる。そして、それは、「玉砕」や「神風」と同じ位置に置かれ、すべて、侵略戦争を覆い隠す大きな物語の構築と強化に活用され、回収されていった。
もちろん、そのような独特なことばだけではない。大本営発表やニュース映像において、ことばも音楽も人々の姿も、徹底的にコード化されていた。学徒出陣も、南瓜の増産奨励も、皇民化教育も、戦地の日本軍と米英軍の挙動も、すべてが「英霊」「玉砕」「神風」と地続きなのだった。(ジョホールバルからの攻撃によるシンガポール攻略後の、山下大将のいかにも勇ましく立派な動きと、英国軍パーシバル中将のおどおどした動きとの違いは、驚くほど対照的に選択・提示されている。)
すなわち、この映像は、誤れり奇怪な「物語」「コード」を外部から眺めた、すぐれた作品となっているのである。情報操作と多くの者による物語の共有のありよう、そしてその無惨な結果を感じ取ることなく、「物語」「コード」内部のことばを未だに使っている者がいるとは、信じ難いことだ。
●参照
○大島渚『青春の碑』(1964年)
○大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
○大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
○大島渚『少年』(1969年)
○大島渚『夏の妹』(1972年)
○大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)
○中野聡『東南アジア占領と日本人』
○後藤乾一『近代日本と東南アジア』