大島裕史『韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス』(新幹社、2006年)を読む。
韓国に野球が輸入されたのは1905年。日本が韓国の外交権を得た年であり、韓国における野球の進歩も、当然ながら、影響を受けないわけにはいかなかった。もとより、明治初期から野球が広まっていた日本との実力差は大きく、それはなかなか縮まることがなかった。
何故、韓国が日本との試合となると過剰に感じられるほどに「燃える」のか。本書を読むと、それが単純なナショナリズムのあらわれではないことがわかる。背景には、歪な権力下における、文字通り苦難の歴史がある。
日本の敗戦=一時的な解放までは、韓国のチームも参加した高校野球であっても、実力差が顕著であったり、メンバーも韓国に移住した日本人子息であったりした。戦後は、ナショナルチームも、プロ野球も、日本で野球の訓練をした者たちが韓国野球の発展に大きく寄与した。たとえば、本書では、白仁天や金永祚らの生涯が取り上げられている。
やがて、韓国野球は内在的な力を持つようになり、新浦壽夫(金日融)が韓国に渡って活躍したときでさえ、もはや彼我の絶対的な力の差はなかったという。わたしが韓国野球の存在を意識したのは、新浦が日本に復帰し、大洋ホエールズに入って二桁勝利をあげたあたりからだ。張本勲(張勲)について、まったく民族や国籍を考えることがなかったのは、わたしが小さかったせいか、時代のせいか。(わたしにとっては「OH砲」。) それにしても懐かしいな。
本書が書かれたのは2006年まで。すでに凄まじい球を見せつけた宣銅烈は引退していた。そして、李承�奮がジャイアンツに移籍して4番を張ったばかりだった。懐の深いフォームが好きだった。いまやトップ選手の実力は個人差でしかない。
いちどは韓国のスタジアムで野球観戦してみたいものである。
●参照
○石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
○パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』