A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

97 サンタフェ

2009年03月17日 22時36分19秒 | ロス滞在記
6月7日(日)午後


朝早くコロラド州コーティスを出発
メサベルデ国立公園経由で
午後4時過ぎニューメキシコ州のサンタフェのホテルへ到着。
休む間もなく市内観光へ。

アジス・アドベと言って乾燥レンガのメキシコ風建物が名物。



サンミゲール教会1610年スペイン人によって建てられた
米国で一番古い教会。



イン・アット・ロレット
ロレット教会(結婚式をやっていた)





サンフランシスコ教会は(ステンドグラス)が立派だそうだが
残念ながら内部の見学はできなかった。



サンタフェ・アーケードは公園に面した小規模な商店街。



あまり観光客を相手にしていない商店街だ。
原住民の作った籠を売っていたが
殆んど伝統工芸品級で精巧な出来上がり
旅の土産に買えるような値段ではない。



商店街の向かい側は市民憩いの公園。



ミスターマスダの着ているTシャツを見つけて
黒人のご婦人が「私も星条旗のTシャツよ」とお互いに国際親善。



サンタフェはニューメキシコ州の州都
静かな町だ。
その昔 ロスアンジェルス・サンディアゴに行く
サンタフェ鉄道の出発駅だったのだろうが
当時はもっと賑やかだったのではないだろうか。

夕食はギター演奏付き
水牛のステーキのようだ。





外に出ると素晴らしい夕焼け
ラッキー。



明日はテキサス 664キロの長旅になる。








98 宇宙の街ローズウエル

2009年03月16日 20時15分23秒 | ロス滞在記
6月8日(月)



今日664キロの長旅
高速道路に沿って鉄道が敷かれている。

運よく貨物列車に出会った。
話には聞いていたが長い長い!



7両のディーゼル機関車が140の貨車・タンクを牽引している。
全長3キロがらいだろうか?




ラスベガスからモニュメントバレーぐらいまでは荒涼とした土地が多かったが
この辺りに来ると牧草地も多くなり矢張りアメリカは豊かな国なのだろう。

ローズウエルという田舎町に立ち寄る。
UFOが飛来した事で有名な町でそこの「UFO研究・博物館」を見学。




UFOや宇宙人に関する資料が展示されている。







当時の新聞もある。映画にもなった。







このローズウエルという町はアメリカ人にはよく知られている町で
我々にも馴染みのある大ヒットした
アメリカ映画「インディペンデンスデー」にも登場してくる町である。

映画ではこの近くにUFO関係でアメリカ最高機密の
「エリア51」と言う施設もあるらしい。
映画では大統領もその存在を御存じなかった。
そこに保管してあったUFO(宇宙船)に乗って
宇宙からのエーリアンの侵略を撃退するストーリー。





町の土産物屋もUFO関連一色である。





この時期ここニューメキシコは昼間の気温30度湿度があり大変暑い。
昼食は車内で幕の内弁当 久しぶりの日本食。

バスは国立公園カールスバッド鍾乳洞に向かっている。


99 カールスバッド鍾乳洞

2009年03月15日 20時57分24秒 | ロス滞在記
6月8日(月)午後



午前中のUFOの街 ローズウエルの見学を終え
昼食は車内で幕の内弁当を頂く。 
久しぶりの日本食に一同大喜び。

国立公園カールスバッド鍾乳洞に到着、
ボルネオにある鍾乳洞に次ぐ世界第二位の大きさだそうだ。

地下260メーターまでエレベーターで降りる。
ビッグルームと名付けられていて流石に広く、大きく
東京ドームの何十倍だろうか。











秋吉台の繊細さはないがスケールの大きさには吃驚させられた。



我々のバスはニューメキシコからテキサスに入る。
今日もまた時差調整で時計を一時間前へ、
セントラルスタンダードタイムである。





これはテキサスの雑草か。



途沿いに石油採掘のリグが米搗きバッタのように
動いているのが目立つようになった。

観光バスが州旗がローンスターのテキサス州に入ったので
ビールも「ローンスター・ビアー」。



夕食はステーキ、久し振りにまともなディナー。
泊まりはフォート・ストックトン。






100 アラモの砦

2009年03月14日 18時46分04秒 | ロス滞在記
6月9日(火)


昨夜泊ったホテルの横は文字道り「テキサスの田舎の停車場」




フリーウエー沿いの景色はテキサスらしい。
牛の放牧、バッタのような石油井戸。

ウインドタービン風力発電が沢山見える、
昔パームスプリングで見た45000基には及ばないが沢山ある。







テキサスは広さ日本の1,8倍。 アラスカに次ぐ二番目の大きさ。
人口はカリフォルニアに次ぐ。

これから行くサン・アントニオはヒューストンに次ぐ
テキサス二番目の都市。




サン・アントニオにはジョンウエインの映画
デビークロケットで知られている「アラモの砦」の跡がある。




市内散策で早速アラモの砦跡に行ってみると石造りの教会だけがあった。
メキシコ軍に反抗するためこの教会にテキサス独立を目指す義勇軍が
集まっていて教会の周りを砦で囲んだものだったようだ。





今はその砦もなく教会内展示のジオラマで当時をしのぶばかりだ。





この街の呼び物は「リバーウオーク」
川から水を引き水路を作っている。
その回りにホテル、レストラン、土産物屋がひしめき
河面を眺めながら散歩を楽しめる。

我々のツアーグループはその「リバーウオーク」を船で一周。






















夜はツアーでご一緒の小林様ご夫妻と4人でリバーウオークを散策。

買い物は「ジョンウエインのTシャツ」、

食事はシーフードレストランで久し振りにまともなディナー。
シャルドネとマルガリータ お話も弾み楽しいひと時。





テキサスで見つけた飲み物。
最近のアメリカのゴルフ場で見つけた飲み物に
アーノルドパーマーという飲み物がある。
紅茶をレモネードで割った飲みもの。
大変爽やかでミセスマスダも気に入っていたが
このアーノルドパーマーがボトルで売られていたのには驚いた。










101 ヒューストン

2009年03月13日 22時04分49秒 | ロス滞在記
6月10日(水)午前中

サン・アントニオのホテル出発
ホテルの横になぜか蒸気機関車が飾ってある。



街はずれですぐにフリーウエー10号線にのる。
不運なことにトレーラー横転事故でフリーウエーは全面ストップ。
迂回路を通って今日の目的地ヒューストンに向かう。



ヒューストンはアラモの戦いに勝利した
サム・ヒューストンに因んで名付けられた。
ちなみにアラモとはポプラの事らしい。



ヒューストンの人口は200万人でNY、ロス、シカゴについで
米国第4位の都市。
産業はコットンに始まり石油、NASA関連。

フォーチュン誌の大企業500社の企業が本社を置いている都市として
NYに次いでヒューストンは2番目と言われている。



ヒューストンの街が緑の向こうに見えてきた。



ヒューストンは中々近代的な街だ。













アメリカの大都会には多いがここヒューストンの街にも
ユニークなパブリックアートがあった。



また「寿司バー」も多く見られるようになってきた。



今日の午後の予定はNASA見学。





102 NASA

2009年03月12日 06時58分10秒 | ロス滞在記
6月10日(水)午後


ヒューストンダウンタウンに別れをつげ
メキシコ湾方面に南下すること30分、NASAに到着。
ジョンソン宇宙センターである。



入り口の建物は大きなドーム、フライトシミュレータもあるが
殆どスターウォーズやインディージョーンズの乗り物で遊園地状態。
アカデミックな雰囲気はない。
35年前フロリダのケネディ宇宙センターを訪れた時のような感激はない。







NASAは広大な敷地の中に色々な建物・研究所が点在しているのだが
我々一般見学者は構内バスで歴史的な設備・機材の見学となる。









今は使われていないが月面着陸とか重要な場面で活躍した司令室
何人もの大統領がこの司令室Misson Control を訪れたそうだ。






続いて現在の宇宙開発機材の見学だ。
若田さんかな?











これは船外活動のための「アーム」





別棟に移り「スペースシャトル」の見学。















SAVINE河を渡るとルイジアナ州
今夜の泊まりはレイク・チャールス
夕食のザリガニがユニークで美味であった。








103 プランテーション

2009年03月11日 08時00分01秒 | ロス滞在記
6月11日(木)午前



今日の目的地はバトンルージュ経由ニューオルリンズ。
アチャペラヤ川を渡ると30分程は湿地帯、林があったり沼があったり
干潟があったり珍しい風景に見とれる。   
森と湖に囲まれて・・・と言う歌が聞えてきそうだ。










我々のバスはミッシッシッピー川に差し掛かり
バトンルージュの街が見えてきた。






この辺りは川沿いに、やけに石油精製の施設が多い。



バトンルージュは州都であり、また日本の青年がハローインの日に
住人の「フリーズ」止まれが聞き取れず射殺された悲劇の街でもある。



昼食に当地独特のクレオール(フランス人混血)料理。
同行の小林御夫妻と御一緒する。





プランテーション(オークアレー)で南北時代の豪農の
豪邸を見学。
庭が素晴らしい。









館の周りは一面シュガーケーン砂糖きび畑。



奴隷労働者が畑で飲む水を入れていたタンク。



案内者の御婦人は「風と共に去りぬ」のイメージだが
スカーレットオハラの住んだ家はもっと豪華で大きかったと思う。





子供連れの若夫婦が凧を揚げている。
ついこの間ロスアンジェルスで孫達と凧を揚げたことを懐かしく想い起こした。







プランテーtションの見学を終え我々のバスはニューオルリンズへ。
車内ではデキシーを流しておりニューオルリンズ気分が盛り上がる。

何度かミッシッシッピー川を渡りポンチャイレークを過ぎれば
ニューオルリンズに入ってくる。



ミッシッシッピー川はミネソタより10州を通り抜け
ルイジアナでメキシコ湾に注ぐ。

103に続く・・・


104 フレンチクオーター

2009年03月10日 21時25分32秒 | ロス滞在記
6月11日(木)午後


103より続く・・・


本日の目的地 ニューオルリーンズに到着。
30年ぶりのニューオルリンズは近代的なビルも沢山建ち
大都会である。






2005年のハリケーン・カタリーナの被害から奇跡的速さで立ち直をり
街は奇麗になったとガイドの説明があった。

路面電車が走っている。
何度かニューオルリーンズに来ているが乗ったことはない。
テネシーウイリアムズの「欲望という名の電車」という
象徴的なタイトルの映画があったが
マーロンブランドとビビアン・リーの汗の匂いがする演技が
印象に残っている。
「欲望という名の電車」はこれを執筆当時
ニューオーリンズを走っていた路面電車の名前である。
ニューオーリンズには「欲望(Desire)」「極楽(Elysian Fields)」
といった変わった名前の通りがあり、「欲望という名の電車」は、
「欲望通り (Desire Street)」を走っていた電車である。
この電車には「Desire」という行き先表示がされていた。
つまり「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」
というのは「都電荒川線」というようなものではあるが、
作品の内容を暗示する効果的なタイトルとなっている。

なお、作品の舞台となった「極楽通り(Elysian Fields Avenue)」は、
ウィリアムズが住んで執筆活動を行なった場所でもある。
上記記述の一部は旅行案内からの引用である。






ミシシッピー河からのランドスケープ。
昔は外輪パドルが付いた観光船が走っていたように思ったが・・・






しかしお目当ては隣接するフレンチクオーター。

ミシシッピー河に面したフレンチクオーターの広場には
ニューオルリンズ戦争のジャクソン将軍の銅像が鎮座している。




フレンチクオーターの佇まいは昔と少しも変わっていない。
汚さ雑然さはそのままである。
シーズン前なのか人出は少ない。



















ニューオルリーンズはルイジアナ州最大の52万人都市、
そしてフレンチクオーターは米国の新婚旅行先としては
キーウエストに次いでの人気である。

因みにルイジアナとはルイ14世にちなんで付けた名前。


我々のホテルはカナルとロイヤルの角、フレンチクオーターの入り口だ。
ホテルの窓からはミシシッピーが遠望できる。
一休み後 夜のフレンチクオーターにお出かけである。




夕食の音楽付きディナーは豆とかオクラのタップリ入ったクレオール料理。






食後はライブハウスでレイチャールスと競演したトランッペターの生演奏。
勿論「聖者の行進」も聞けた。





















ライブハウスを数軒「はしご」をしたので
今夜はデキシーを十分堪能した。








105 キング牧師

2009年03月09日 17時43分05秒 | ロス滞在記
6月12日(金)午前


今日は10号線から別れ55号線を北上 ここルイジアナから
ミッシッシッピーを通り抜けテネシー州のメンフィスまで
650キロの行程である。




ミッシッシッピーで通り過ぎたニッサンの工場のバカでかかったこと。


ようやくバスはメンフィスに到着。
MLキングJRが凶弾に倒れたモーテルが今記念館になっているが
訪れる人が引きもきらない。





左側に停まっているいる白のキャディラックは
キング牧師が乗っていた車。



花輪のある2階が暗殺の現場。



黒人の学生の団体が3組ほど
モーテルの前で記念撮影をしていた。





これからバスはダウンタウンに向かう。
バス内の音楽はプレスリーばかり流れている。










絵皿

2009年03月09日 03時36分55秒 | 陶芸
3月7日(土)


偶には我が家で愛用しているプレートを紹介したい。
ITALY BASSANO(バッサーノ)の四季の絵皿である。
直径17センチの丸皿。
イタリヤの陶器はデザインと色は大変魅力的だが
焼が甘く雑に扱うと欠けてしまう。
ミセスマスダが歌人のお友達と御揃いで購入した品で
大事に使っている。


PRIMAVERA(プリマベーラ) 春 花摘み




ESTATE (エスターテ) 夏 麦の収穫




AUTUNNO(アウトーノ) 秋 葡萄を収穫
 




INVERNO(インベルノ) 冬 暖炉にて暖まる




106 BBキング

2009年03月08日 18時16分50秒 | ロス滞在記
6月12日(金)午後


メンフィスのダウンタウンに向かうバスの車内は
プレスリーのDVDでロック&ロール気分が盛り上がっている。

市のビジターセンターで先ずプレスリーの銅像にご挨拶、






ついでにBBキング






メンフィスはビール・ストリートが繁華街 
演奏付きレストランが軒並みだ。





メンフィスにはキング牧師の前にも公民権運動に熱心な弁護士がいた。
ベンジャミン・ブース氏は黒人も白人と同じ市電に乗れるようした。





ここメンフィスはセントルイスブルース発祥の地だそうだが
ここの自慢はBBキング。
カフェレストラン「BBキング」で夕食。






25センチぐらいの大きなスペアーリブ、
ミスターマスダは半分も食べ残したが同行の60歳の中島さんはペロリ、
年の差を感じショック。




レストランの舞台ではビートの効いたリズム&ブルース。
黒人歌手の核力が物凄い。















そのバンドリーダーの黒人歌手はその昔 
日本のクラブで歌っていたという。
我々のグループ、日本人だと思ったのだろう、とても
懐かしげに、親しみを込めてミセス・マスダに話しかけて来た。


おもに浜松でコンサートをしていたが焼津に住んでいた。
ミセスマスダが焼津の隣り町が出身地だと云うと
「おお藤枝!」と云うではないか。その藤枝にも住んでいたと云う。
これにはミセスマスダも吃驚。
1メートル80センチもあるかと思われる豊満な女性だが、
アンジェラという可愛い名前と笑顔が素敵だ。
すっかり意気投合、メールアドレスを交換したり等、
幕間に話に花が咲いた。




107 エルビス・プレスリー

2009年03月07日 20時49分57秒 | ロス滞在記
6月13日(土)午前中



朝エルビスプレスリーの邸宅グレースランドを見物。
エルビスは若干22歳でグレースさんよりこの館を購入
43歳で死ぬまで住んでいたそうだ。

勿論入口の正門はエルビスらしくリフォームされて
音符がデザインされている。
小林さん御夫妻と連れだって入門。









大豪邸ではないが小樽の裕次郎記念館に比べると
世界的スーパースターのオーラ・貫禄を感じさせる。









建物内部は出来るだけプレスリーが住んでいたままの姿を
公開している。
いたるところにプレスリーのポートレイトが飾られている。
家族の団欒の部屋や地下室にはビリヤードの部屋もある。
体形維持のためのジムもある。






















一部内部を改造してプレスリーの業績とか舞台衣装を展示している。
プレスリーの歌は個人的にはロックアンロールより映画音楽が好きだ。

















建物を出るとそこは中庭。
プレスリーの御墓がある。
彼は1935年1月8日生まれと言うことを墓石で知った。
ミスターマスダが四日兄貴分だ。





中庭をはさんで向こう側にはゲストハウス。



塀の向こうにはプライベート・ジェット。
娘さんのための小型ジェットも飾ってある。
小樽の裕次郎記念館にはヨットが飾ってあったっけ。



見学後の印象としては
スーパースターとしては慎ましやかなお住まいであったと拝察した。




バスは次の目的地ナッシュビルに向け疾走中、
車内にはカントリーミュージックが流されている。
ナッシュビルはカントリーミュージック発祥の地。

テネシー州の洲歌はテネシーワルツだそうだ。

一昨日はディキシー、昨日はブルース、今日はカントリー 
3日続けて音楽の旅になりそう。

テネシー川を渡った、後一時間でナッシュビルだ。




田淵俊夫の襖絵

2009年03月06日 17時27分35秒 | 家族行事
2月24日(火)


横浜高島屋百貨店で興味深い陶芸展を開催していると言う。


勧められてデパートの展覧会場に来たものの展示陶器は
ミスターマスダの琴線に触れる物ではなし。
作家の作為が現われ過ぎている。



同時期、ここで「知積院講堂襖絵完成記念 田淵俊夫展」が催されていた。
比較的空いていたので、ゆっくり鑑賞出来た。
知積院は成田山とか川崎大師を末寺にもつ真言宗の総本山だ。
三十三間堂や雑炊の「わらじ屋」の近くのお寺。

知積院は長谷川等伯の障壁画で有名だが
この度 田淵俊夫の襖絵も将来知積院のお宝になるのだろうか?

田淵俊夫の襖絵は墨の濃淡だけで桜とかススキを描いているが
「墨に5彩あり」とはこのことか色彩が感じられる。
現在田淵俊夫は東京芸大の副学長ですが矢張り芸術家だと思う。

6月から京都の知積院講堂でこの襖絵は一般公開される予定とか
この襖絵が「あるべき場所」でもう一度鑑賞してみたいと思っている。







なお身延山「久遠寺」の本堂の天井画の「龍」の絵も田淵俊夫画伯の作である。
昨年春 桜の季節に久遠寺を訪れその天井画を拝見していたので
今日の会場でその原画と言うか下絵をを見た時は「ああそうだったのだ・・・」。


帰りに「横浜そごう」に寄って陶器売場を覗く。
何か作陶に参考になる器はないかと物色中に
衝動買いで「備前風の菓子皿」に手が伸びる。

帰宅後早速マスダ窯の最新作の季節物の
「紅梅の抹茶茶碗」で御点前。



この備前風菓子皿には羊羹より明るい色の「落雁」が似合いそう。




108 テネシーワルツ

2009年03月06日 11時32分33秒 | ロス滞在記
6月3日(土)午後



バスは次の目的地ナッシュビルに向け疾走中、
社内には先程からカントリーミュージックが流されている。
ナッシュビルはカントリーミュージック発祥の地。
また因みにテネシー州の洲歌はテネシーワルツだそうだ。
パティー・ページなど懐かしい。

一昨日はディキシー、昨日はブルース、
今日はカントリー 3日続けて音楽の旅になりそう。

テネシー川を渡った、後一時間でナッシュビルだ。




ナッシュビルの繁華街はビール・ストリート。
セントルイス・ブルースの生まれたところと聞いた。





今 この町では音楽祭の最中だ。
CMAカントリーミュージックアメリカと言ってアメリカ全土より
バス数百台でカントリーミュージック・ファンが集まってくるのだそうだ。
ハンク・ウイリアムスなどポスターの写真が飾られているが
この町ではハンク・ウイリアムスは神様だ。















キップ売ってください!











お巡りさんと記念写真

ヘイ グッド ルッキン 流行ったねえ!

続々とバスで聴衆が御到着

ビールストリートの北詰は河に面した公園でフェリーに船着場でもある

海兵隊も音楽祭に参加している



夕食前にクラブの生演奏を聞きに行く。
音楽はビートが効きすぎミスターマスダには合わぬ。







「ハードロックカフェ・ナッシュビル」を見つけた。
これこそハードロックカフェの原点だろう。
土産のTシャツをごっそりゲット。

夕食はナッシュビルの街中で日本食 「一番」
定番の天婦羅・刺身。
久しぶりの日本食だが特別の感激もなし。




109 チャタヌガ・チュウチュウ

2009年03月05日 13時59分13秒 | ロス滞在記
6月14日(日)午前中


バスは一路TVAへ。
1933年ルーズベルト大統領のニューディール政策でテネシー川流域に
32のダムを造ったがその一つを見学。






辺りはクローバーの絨毯だ。
ミセスマスダの特技は四葉のクローバー探し。
ミスターマスダもそれにお付き合い。
そんなに簡単に見つかるものではないけどね!





愈々バスはチャタヌガに向かったが途中トイレ休憩。
土産物屋のパーキングに立ち寄る。
アンティークまがいの「ピアノーラ」が気に入った。
買う積もりはなかったが店員に自動演奏を聞かせてもらったり
由来を聞いたり値段を聞いたり楽しかった。




続いてチャタヌガを訪問、東部時間に合わせる為時計の針を一時間進める。
テネシーは東部とマウンテンと二つの標準時間があるらしい。

チャタヌガは国営鉄道発祥の地 





立派な駅舎は今はホリディーインになっている。






プラットホームは今はホテルの内庭
勿論廃線だが当時の機関車などが置かれていて楽しい風景だ。















そこへトローリー電車が走ってきた。
ここは観光トローリー電車の発着駅にもなっている。
昔ゴア副大統領がブッシュと大統領候補を争った時
ゴアがこのトローリーに乗って遊説したと伝えられている。





これからアトランタに向うが途中ストーンマウンテンに立ち寄る予定。
経験豊かな旅行会社のバスツアーなので落ち度なく色々な所に案内してくれる。
個人でレンタカーによる大陸横断ではなかなかこのようには行かぬ。
良いチョイスであったとバスのシートで居眠りしながらふと思った。