山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

『シートン伝・燃えさかる火のそばで』を読む

2015-12-26 00:37:06 | 読書
初老の紳士が「火のそばで読む絶好の本があるよ」と言って渡された課題図書がこれだ。
 焚き火やストーブのそばで読むことはできなかったが、堀ごたつでなんとか読み終えた。
 後妻のジュリア・M・シートンが編集した『燃えさかる火のそばで』(早川書房、佐藤亮一訳、1983.7.)は、シートンの人となりをリスペクトあふれる文で綴った伝記だ。

                        
 シートンと言えば「動物記」だが、それはファーブルとともに訳者・出版社の活躍で喧伝された日本特有の現象だという。
 野生動物やインディアンへの愛情・共感にあふれていたのは言うまでもない。
 高齢になってから私財を投げ打って広大な「シートン村」を作り、そこに「インディアンの智恵の大学」を開校したり、子どもたちの自然学校・野外教育・キャンピングを開催したりしている。

    
 それが世界のボーイスカウト誕生につながり、彼はアメリカの初代団長として長く貢献してきた。
 しかし、ボーイスカウトに内在する軍国的・管理的・国家主義の指導・体質に彼は疑問を持ち始め、それを批判したため除籍されてしまう。

                    
野生動物の保護について彼は、「アメリカ人は、猟獣や猟鳥がすっかりいなくなってしまうまで、その価値に気がつかないということです。
 何もいなくなってから、やっと保護のことを考えるのです。
 彼らは自分たちの国から計りしれない価値あるものを奪ってきました。
 彼らの子供たちからも、その資産を奪ってきたのです」と、ナチュラリストらしい憤りを吐露する。

        ( 画像はネットから )
シートンは、野生動物の研究者であるとともにその保護育成の実践家であり、その画家・文学者であるという多面的な指導者であるのがわかる。
 とりわけ、インディアンとともに生きる姿勢は彼の誠実さと謙虚さにあふれている。
 インディアンの結婚式は二人のためにみんなで焚き木を持ち寄り、これからを祝福したのを紹介している。
 そして、美のため、真実のため、不屈の精神のため、愛のため、自らの成長のため火を灯していくという実践をしているところがシートンらしい。

 シートンが人類に世界に我々に提起した問いは前進してきたのだろうか。
 目先の激流に流されて「本当の」価値を見失ってはいないだろうか。
 そんなことを突き付けられた課題図書だった。
 初老の紳士に改めて敬意を禁じ得ない。
 合掌。
 ネイティブにもどろうよ。
  


コメント (3)
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