上野公園内に「正岡子規記念球場」という東京都が管理する球場がある。日本に野球が紹介されたのは明治初期だったが、その野球用語を日本語訳したのは正岡子規でもあった。明治23年に子規はこの空き地で試合をしてキャッチャーをしていた。
白球型の大きな石板には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれていた。長らく病床にいた子規の熱い思い出が滲み出ている。
国立東京博物館の庭に「文官」の石像が立っていた。18~19世紀の平壌のものらしい。「文官」とは科挙試験に合格した朝鮮の高級官僚だ。表情を見ると封建的国王の意思を支えようとする追随の姿勢を表現しているように見える。朝鮮統治時代に日本にやってきたものだろうか。
公園の噴水広場に西洋風の銅像があって、なぜここにこんなものがあるのかと思っていたところ、中国人らしき夫婦が写真を撮っているのを見たら、なんと、その銅像が動いたのだった。そういうことだったかー、やられたねー。