端正な隠居から前々から出された課題図書、ジョセフィン・テイの『時の娘』(早川書房、1977.6.)を読み終える。英国推理作家協会が史上最高の推理小説100冊を発表(1990年)し、その1位となったのがこの『時の娘』だ。
『時の娘』とは、「真実は今日は隠されているかもしれないが、時間の経過によって明らかにされる」とする意味合いがある。舞台は15世紀のイギリス、貴族の内乱が30年も続いた「薔薇戦争」後半に活躍した「リチャード3世」の評価をめぐる小説だ。
シェークスピアの「リチャード3世」やトーマス・モア(『ユートピア』で有名)によれば、王は王子をロンドン塔に幽閉・殺戮したり周りの人間を粛清したりする残虐非道の人物だったとし、それが国民にスタンダードに定着している。
それに対して主人公の探偵とアメリカ人青年とが資料を駆使して推理した結果、「リチャード3世」を擁護していく物語だ。
日本も同じころ「応仁の乱」があり、歴史の悲哀・面白さ・共通を発見する。それ以上に、「古事記」「日本書紀」の記述や「蝦夷・アテルイの蜂起」など、いまだ歴史の勝ち組優先の「真実」が流布されている。
歴史を平板的にしか見ない歴史家に痛烈に批判するケイ女史の爽快な推理が小気味いい。随所にイギリス人らしいウィットに富んだユーモアがふんだんなのも大英帝国が育んだ余裕ということなのかもしれない。
ポピュリズムの蔓延は現代の課題というか、歴史の繰り返しというか、書店で『戦前日本のポピュリズム』という本を買ってしまった。トランプを産んだアメリカ、行政・企業の忖度・癒着に甘い日本、それらはどこからくるのだろうか。