山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

独立してからのほうが大変

2020-07-09 20:03:43 | アート・文化

 市井に住むダビンチさんから「この映画はぜひ見るべし」と彼のコレクションのなかから渡されたDVDは、「アルジェの戦い」(ジッロ・ポンテコルボ監督、1966年)と邦画「大殺陣(ダイサツジン)」(工藤栄一監督、東映・1964年)の2本だった。3本立て映画を朝から夜まではしごしたこともあった青春時代のオイラは2本とも見ていなかった。

 132年間にわたって植民地支配されてきたアルジェリアは、フランスからの独立を求めて1950~1962年に市民による命がけの独立解放運動を展開していた。

                 

 解放戦線のテロ攻撃に対してフランス軍は、反ナチのレジスタンスの闘士だった将軍と大軍の軍隊を投入して、処刑・拷問・不当逮捕など徹底鎮圧作戦はゲリラ組織の壊滅に成功した。しかしその後、アルジェの街は群衆に埋め尽くされ独立を手中にする。まるで、ドキュメンタリー映像を見ている臨場感があったが、その多くは運動にかかわったことのある市民でもあった。

    

 監督は初めポールニューマンを主人公にする意向だったらしいが、まわりから無名の市民をという強い意志を受け入れたという。上映された時代は、ベトナム反戦運動が世界的に風靡したときでもあり、ベネチア映画祭でグランプリを獲得する。また、イラク侵略戦争のさなか、ペンタゴンではこの映画を鑑賞してフランス軍の軍事行動の分析をしたという。

               

 政権を奪取した解放戦線のアルジェリアだったがその後、一党独裁だったり内戦状態が続いてしまう。それは今日の中近東・アフリカ諸国でも同じ現象が少なくない。フランス革命もそうだったね。それはわが日本でも野党が政権を執っても内部の足の引っ張り合いが続くだろうことが予想される。権力の変換があっても、それを支える哲学や精神・文化が熟していないと基盤が脆弱となる。それを管理と武力で押さえつけたとしてもいずれ歴史の流れは固定的ではないのだ。

     

 そして次に、若き里見浩太朗主演の「大殺陣」は、おじさんには懐かしいキャストにまずは眼を瞠る。浪人役の平幹二朗、大友柳太朗、河原崎長一郎、砂塚秀夫らが迫真の演技を見せてくれる。「樅ノ木は残った」(伊達騒動)に出てくる大老・酒井忠清の陰謀がこの映画でも出てくる。シンプルに言えば、それを阻止しようとする刺客集団の抗争物語だ。斬新なのが映像のカメラアングルだった。東映の時代劇もこういう構図が撮れるのだということを再発見させてくれる。しがない浪人の大坂志郎が刺客一味に参加していく過程がもの悲しい山場でもある。

   

 敵味方の判別がわかりにくいストーリーだったが、「アルジェの戦い」と似ているのは、権力を変えていく難しさだ。内部分裂のはかなさも破滅的行動のむなしさも当時の安保固定後のもどかしい空気を反映しているように思う。最終シーンの殺陣の見せ場は、「七人の侍」を彷彿とする血と泥との「集団抗争時代劇」だった。見終わっても晴れがましいものはない「滅びの美学」だけがそこにあった。儒学者の山鹿素行が登場するのも意外性がある。こうした重厚で深みのあるDVDを確保しているダビンチさんに敬服する。時間つぶしの映画鑑賞という行動しかとれなかった青春時代がもったいなかったなー。          

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