山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

共生とは心地よいとはいえない妥協の産物

2020-07-29 21:39:30 | 読書

 コロナ禍のエンドレスニュースは霧の中で彷徨する日々だ。そんなとき、山本太郎というどこかで聞いたことがある名前の著者の『感染症と文明--共生への道』(岩波新書、2011.6)を読み終えた。著者は俳優から政治家となった一匹狼・山本太郎ではなく、アフリカやハイチで感染症対策に従事した学者だった。人類は都市文明を形成するとともに野生動物を家畜化し、そのことで麻疹(ハシカ)がヒトの病気となり世界へと広まっていく、という人類と感染症との始まりが前口上だった。

  

 そして、先史時代の人類は、その糞石からは寄生虫の卵や幼虫は発見されず、また、疾病に対する適応的傾向がみられるという。むしろ、農耕の開始・定住・野生動物の家畜化が人類と感染症の転換点になったと指摘する。とくに野生動物の家畜化として、天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水鳥、百日咳はブタ・イヌに起源をもつ。感染ウイルスは増加した人口・文明という土壌を得てヒト社会への定着を獲得していく。

    

 感染症というレンズで歴史を見ると、従来の歴史的事件や「帝国」の衰退などの要因や必然性が浮き彫りにされる。シルクロードを皮切りに、モンゴル帝国の拡張さらには大航海時代に見られる交易路の開発とともに感染症は猛威を振るう。14世紀のヨーロッパを襲ったペストによる死者は、当時の人口の三分の一に達したという。

                 

 それが近代の世界大戦においても、軍隊の移動と共に感染症が広まっていく。つまり、「帝国主義が流行をもたらした」と著者は断言する。さらには、「開発」という名の自然への介入は、「開発原病」と称する感染症を次々生み出してしまった。アフリカや途上国のダム建設・鉱山開発・ゴム農園などで住血吸虫症・「河川盲目症」・マラリア流行などを事例としてあげている。

 そして、「狩猟がうまく生き過ぎると、生態系のバランスは崩れる。牧畜がうまく生き過ぎても牧草地は荒廃する」ことから、人類と感染症の関係も同じだと提起する。

  

 エピローグで著者は、「病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた<適応>といえなくはないだろうか」、「心地よい適応は、次の悲劇の始まりに過ぎない」と提起する。したがって、「共生とは心地よいとはいえない妥協の産物として、模索されなくてはならないものなのかもしれない」と結ぶ。

 2011年に書いたこの著作は、9年後の今年の新コロナを予言するかのような予言書でもあった。新型コロナは、宿主の人間が死滅しては自分も生きられないわけで、毒素を弱くして広く感染させて子孫を残すという高度な生き残り戦略を持ったウイルスなのだ。

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