「50年から100年に一度」という線状降水帯が九州・熊本を襲っている。その影響か、朝からわが地域も学校が休校するという放送もあり、一部道路の通行止めも放送された。近所の田んぼも濁流で冠水寸前だった。
日本列島の成り立ちそのものは、人間から言えば超災害の歴史でもある。そのため、日本人は災害と共に歩んできた。そこから、自然の脅威と豊饒とを学んできて、自然とのつきあい方を暮らしの中で深めてきたように思う。その結果が「里山」を育んできた。環境省らが提唱している「satoyamaイニシアティブ」は、人の暮しと生物多様性との関係で環境に負荷をかけないような二次的自然を保全していくという国際的な取り組みが始まっている。なかなか浸透していないが、民間の力を大切に育めるかがカギだ。
しかし、マスコミや地元の地方をはじめじっくりとりくんでいるとはとても思えない。むしろ、里山を有する地元すら、その価値を共有し広めていく立場に立っていない。山も田んぼも川も経済的価値だけに収斂してしまう発想が自分たちの首を絞めつけていることに気が付いていない。というより、理想を語るより金が第一だと。
そんなことを思いながら雨の国道を走る。国道の石垣からは大量の水が放出していた。ふだんでは全く見られない光景だ。これ以上雨が降ると、決壊して土砂崩れになるのではないかと心配するほど勢いがいい。
その隣に、いつもは湧き水が静かに放出しているが、きょうは勢いの声をあげながら全開していた。日照りが続くとこの放水が止まってしまって心配したことがあったほどだ。また、この水を汲み取りに近隣から来る風景もちょっとした風物詩となっていた。
いつもはチョロチョロとしか流れていない堰の水も今は濁流の滝となっていた。車を運転しながら土砂崩れの兆候に注意を払う。きょうの就寝場所は念のためやはり山側から離れることにする。南九州の豪雨による死者は50人を越えそうな気配だ。防災グッズを確保しなければ。