山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

秋の「山の村」の植物

2015-11-10 21:20:30 | 春野山の村
 久しぶりに「春野山の村」を訪れた。
 まず驚いたのは、「キッコウハグマ」の群落を発見したことだった。
 以前は見つけるのがやっとだったが、一昨年から杉を伐採した効果だろうか、今まで見られない植物が出てきたようだ。

                              
 葉を見ると亀甲型なので「キッコウハグマ」。
 切れ込みがある葉だと地域限定のエンシュウハグマとなる。
 いずれにしても貴重な植物に違いない。

      
 人があまり歩かない道には、「ツルアリドウシ」の赤い実がちらほら見られた。
 この実は二つの白い花が合体してできたものだ。
 その痕跡がよく見ると実の上のほうに二つある。

                     
 葉をちぎって匂いをかぐとミカンのようなにおいがする。
 能舞台に描かれた松に似た姿から松風の名がついたらしい。

     
 全草が薬草の「センブリ」を発見。
 「千回振り出して」煎じて飲むくらい苦い薬だ。
 ときどき直売所で売っているときがある。

                       
 おなじみの「フユイチゴ」の実があった。
 この小さな実を集めてジャムが作れる。
 ときどき群生地でつまみ食いするのが楽しみだ。

 NPOが運営する「春野山の村」。
 民間が管理運営する難しさも多いが伐採した木材を搬出しながら自前で経営をしているのがすごい。
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ギンナン拾って縄文経済

2015-11-09 20:15:17 | 農作業・野菜
 先月末ギンナン拾いをはじめてから今回で2回目。
 ギンナンが車に轢かれて道路が汚れて臭いも漂っている。
 所有者にことわって掃除も兼ねてギンナン拾いを再び行う。

    
 採集経済はわが家の基本だ。
 今日縄文文化は古代4大文明とは違う道を歩んだことがわかった。
 古代文明は農耕によって飛躍的な富を蓄え高度な時代を築いたが、縄文人は農耕を選択せず、狩猟採集経済を良しとした。

                          
 古代文明は戦乱でまもなく滅亡したが縄文文明は約1万年も持続した。
 それは世界史の常識を覆す生き方、つまり自然に負荷をかけない共生循環社会が日本に続いていたということでもある。
 
 どんぶりにギンナンを入れてチンすると、適度に割れて食べやすくなることがわかった。
 食べ過ぎないよう縄文人になった想いでつつましく食べていくことにする。
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ショウガ・エビイモを試掘、大根は大根おろし

2015-11-08 19:16:05 | 農作業・野菜
 エビイモの大きな葉が枯れてきたので先日試し掘りする。
 ほんとうは土寄せを何回も続けることで海老のような形の芋ができるそうだが、すっかり忘れていた。
 そのため海老のような細長い芋はできなかったが、里芋並みの大きさを確認できた。

      
 親芋も子芋も孫芋もすべて食べられる。
 さっそく芋汁で食べたところさすがにうまい。
 京野菜らしい上品さがある。
 生産量は京都ではなく静岡県が全国一位、とくに磐田市だそうだ。

                  
 ショウガの葉もそろそろ枯れ始めてきたので、試しに掘ってみる。
 紅茶やうどんにに擦ったショウガを入れる。
 味にピリッとした刺激が口内に広がる。
 今回は順調に生育しているようだ。

                          
 このところ急速に大根が太くなってきた。
 霜が降りる前に大きくなろうとする意志の現われか。
 毎日のように大根おろしにしたり、葉は浅漬けにしたりして丸ごといただく。

 例年だと植えるのが遅くて年内に間に合わないことが多かったが、今年は順調な手応えだ。
 ホウレンソウやニンジンの芽が出ないのが想定外だったけど。
 一日中久しぶりの雨。

 午前中にイチゴの苗をポットに植え替える。
 午後はキウイフルーツを大きさに合わせて室内で分けてみる。
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援農でキウイの収穫終了

2015-11-07 19:47:03 | 農作業・野菜
 きょうは2時間かけてやってきたかおりちゃんにキウイの収穫をやってもらった。
 先月から始まった援農三日目だ。
 ほとんど一人でもくもくと収穫を続けついにキウイのすべてを収穫することができた。
 これで、都会から来たあゆみちゃん・かおりちゃんの若いパワーだけでキウイを「制覇」したことになる。

       
 そしていつもの焚き火の「ルーティンワーク」が始まる。
 奥多摩のマタギのうどん料理「ずりだし」で昼食とする。
 収穫したカボチャ・柿・かき揚げの天ぷらを「ずりだし」に入れる。

                           
 その後、道草山で樹の伐採をしてくれているシンちゃんらとダッチオーブンの焼き芋を食べる。
 一人で数十本の樹を伐採し、きょうで終了となる。
 伐採のおかげでずいぶん明るくなってきた。

                              
 夕飯は大鍋で蒸かしたカボチャをたらふく食べる。
 今年のカボチャの甘みが心配だったが、まあまあおいしく食べられた。
 朝から夕方まで畑の木の残骸を燃やしながら食事もいただく。

 援農のおかげで収穫作業がしっかりはかどったとともに、彼女らと地元のシンちゃんとも交流もできた。
 そのことで第一次産業で従事する地元の迫力と生きる基本の意味とが伝わったように思う。

 
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天にはゆるりと飛行船、地にはつつましい暮らし

2015-11-06 21:41:01 | 風景
 昨日のこと、紺碧の空に飛行船が突然飛んできた。
 飛行機に比べて空を滑るように浮いている飛行船は魅力的だ。
 「メットライフ生命」と字も読めた。

                            
 機体の絵はスヌーピーらしいが真下にいたのでそれはよく確認できない。
 アメリカの生命保険会社のPRに違いないが、夢がある。
 JAが斡旋していた有機肥料・暴力団の資金源となっていた接骨院の保険請求・マンションの杭打ち工事などの偽装や詐欺が次々拡大している最近、この空の伸びやかな宣伝が秀逸だ。

    
 そんな空の下、飛行船に誘われて道草山からわが集落を見る。
 紅葉はこれからだが、緑のいのちたちは太陽の光をしっかり受け止めている歓喜で溢れている。
 偽装や詐欺に神経を使う人間の愚かさを自然が黙って告発している。

                           
 道草山で伸び放題だった樹木の伐採が今年も始まった。
 茶畑もわが家もその樹木で日陰にいる状態だった。
 それを茶園を管理している山の民がスイスイと樹の伐採を無償でしてくれている。
 自然とともに暮らす林業家のたくましさ・心意気が空の下でまぶしく輝く。

 その勢いに押されてきょうは、二つの畝づくりで耕運機に登場してもらう。
 時間がなくて夕闇になってしまったが、和宮様が懐中電灯で照らしてくれた。
 無理をしないのをモットーとしていたが、朝動き出すのが遅いのがひびいている。


 
 
 
 
 
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キウイの収穫もスタートしたよ

2015-11-05 19:22:30 | 農作業・野菜
 キウイの収穫を始めた。
 助っ人にあゆみちゃんが遠くから駆けつけてくれた。
 今年のキウイは量は申し分ないが、やはり大きさが小粒で糖度が低い気がする。
 また、実の表面の輝きが納得いかない。

       
 気温差が激しくなったようで今朝は茶畑から湯気?が舞い上がり、霜が心配な時期になってきた。
 サツマイモの葉はすでに寒さで枯れ始めている。
 風邪にやられた友人もいる。

                       
 いつものように、伐採した枯れ木を燃やしながら暖をとる。
 いただいたオカラに柿を入れたサラダとお好み焼きを昼食にする。
 その場で収穫したナメコ・シイタケ・ムキタケ入りのきのこ汁で心身が暖まる。

      
 夕方、残り火を七輪に入れて超デカのシイタケを焼く。
 このシイタケだけで腹がいっぱいになったのでこれで夕飯とする。
 道草山の伐採もきょうから始まった。
 あゆみちゃんもチェンソーを初めて体験してチョー満悦。

                       
 昨年収穫したキウイのほとんどは自家用となった。
 というのも 、毎朝飲むジュースにキウイを数個入れて飲んできたのだ。
 その量を考えると、人間の胃袋の消化作用の激しさに驚愕する。

 生きるとはなんと激しく生を犠牲にするものなのか。
 当たり前の日常とは激しい繰り返しの裏打ちの上に成立している。
 
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キャベツ・白菜の収穫もう一息

2015-11-04 19:16:47 | 農作業・野菜
 結球が始まったキャベツを試しに収穫して食べてみる。
 甘みはまだまだで、重さも軽めなので合格点はつけられない。
 以前は結球すらできなかったから、これで一歩前進としよう。

       
 和宮様が細かく切ったキャベツを生で食べる。
 都会では高値のキャベツだが、わが畑の今年は順調な生育となっている。
 むしろ、食べきれないのでどうしようという悩みすらある。

                           
 隣の師匠からいただいた「ハクサイ」の苗も結球が始まり、そろそろ霜対策でひもを縛る段階に来ている。
 足の悪化で畑の作業を一部中断していた師匠だが、今は全面中断して自宅前のプランター栽培のみにしている。
 こんなところにも、高齢者が多い過疎の現実がじわじわと押し寄せている。
 明日は我が身なのだ。

      
 夏に植えた「ニンニク」もしばらく芽が出ないところもあったが、今ではそろって芽を伸ばしてくれたのでまずはひと安心。
 隣の集落から黒ニンニクが欲しいという注文も来ているので、なんとか冬越えを成功させたいところだ。

                
                              
 だんぜん元気なのは、野生トマトだ。
 気温が低いので熟成に時間がかかるものの、このところたわわな赤い実をつけてくれる。
 栽培していた苗よりよっぽどたくましい。

 今年はキウイやサツマイモの糖度が足りないのが気になるが、天を見ながら感謝の気持ちを忘れずに生きていくことにする。
 
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芳賀徹の『與謝蕪村の小さな世界』『詩の国詩人の国』ワールド

2015-11-03 20:14:31 | 読書
 ETVの「日曜美術館」のゲストとして以前出演していた「芳賀徹」さんの解説は明快だった。
 それは、比較文化学者としてフランス語・英語・漢文の文学及び絵画に造詣が深いことからでもある。
 与謝蕪村の歴史的価値を詩人萩原朔太郎の批評から引用している。

 「百数十年も昔に作った蕪村の詩が、明治の新体詩よりはるかに芸術的に高級で、且つ西欧詩に近くハイカラであったといふことは、日本の文化史上に於ける一皮肉と言わねばならない。」

     
 俳聖芭蕉の崇高さに比べ蕪村は、「小市民的な生活感情のなんの身構えもなく流露」している身近さがあるとしている。
 また芳賀さんは、蕪村は京都に暮らす<「寂寞」の中に沈潜してゆき、その方向にこそ詩境を深めていった>という近代的懊悩を発見している。
 言い換えれば、「日本近代の青春の抒情詩は18世紀末の蕪村に源を発する、とさえ言ってもよいのかもしれない。」としている。
                     
 蕪村が希求した桃源郷は絵画や俳句に表現されている。
 芳賀さんはそれを日本の現代にふまえ次のように書いている。                                  
 
 
 「新幹線がいくら走り、高速道路をいくら走っても桃源郷にたどりつくはずはない。
 新幹線や高速道路はむしろ桃源郷を破壊し、桃源郷への夢想をさえ踏みにじっていく。
 あれはたしかに便利なものだ。
 だが、便利・合理・営利・管理という「り」じるしは、しばしばはなはだ野蛮なイデオロギーである。」

     
 芳賀さんは続けて、万葉集・古今集・新古今集などの和歌さらには俳句・短歌と続く日本の豊かな内奥は、まさに詩の国・詩人の国といえる伝統を築いてきたと指摘する。
 同時にそれは、現代日本の現状はそれらを誇らしく言えるのだろうか、ということを提起しているように思う。
 安倍くんらの経済第一主義・景気軍事優先が向かう先には、詩の国・詩人の国は干乾びてしまうのは言うまでもない。
 私たちは何に向かおうとしているのか、それが問われる2冊の本だった。

 芳賀さんの文章は難しかったが、しばし情感溢れる語彙に表現に唸ってしまうものだった。
       『與謝蕪村の小さな世界』中央公論社 1996年4月30日刊
       『詩の国・詩人の国』筑摩書房 1997年2月20日刊
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立派な石碑が寂しそうだ

2015-11-02 20:52:26 | アート・文化
 先日掛川方面に出かけたとき、どういうわけか道に迷ってしまった。
 林道みたいな狭い道をぐるぐるしていると、突然広大な墓地にぶつかる。
 その入り口に「鎮魂の碑」のモニュメントが立っていた。

      
 石碑の頭には火の鳥か鳳凰のような顔が見事に鎮座していた。
 鎮魂の碑というと多くは戦争の犠牲者のための忠魂碑が多い。
 しかしこの碑は、大日本報徳社社長でもあった榛村(シンムラ)純一元掛川市長の文らしきものが刻まれていた。
 さすが、7期28年も首長を担うだけあって中身が独創的で優れている。

                         
 「この掛川の地は、太古より人が住みつき栄え、多くの埋蔵文化財を残した。
 近代文明は、これらの一部を無造作に破損し、或いは変形した。
 ここに、先人の霊魂を鎮めるとともに、その加護により新しい定住の地、掛川づくりの曙となることを祈念して、
 この碑を建つ。  昭和54年3月 」

     
 碑文の内容は、開発してしまった言い訳ととらえることもできるが、前方後円墳に立つこの鎮魂の精神を刻むところが大物政治家らしい。
 さらに彼は全国に先駆けて「生涯学習都市」も宣言するなどの先見力がある。
 それは「参加と協働の概念を内包したまちづくり」を推進しようとする高邁な戦略だ。
 二宮尊徳を指導者の模範とするだけあって、俗物現実主義者ではないようだ。

とはいえ、この石碑の価値はどうも無視されている気がしてならない。
 この地はあとで調べたら、掛川インターに近い「富士見台霊園・森林果樹公園」だった。
 こんどはゆっくりとこの地を探訪してみたい。
 
 
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消えた道を復活する

2015-11-01 19:07:10 | 農作業・野菜
 この先に道があったが、今はすっかりその面影がない。
 わが荒れ地ゾーンを拓くには道がまず必要だ。
 2mはあるススキやアメリカセンダングサは、ナイロン草刈機ではうまく刈れないので先に鎌で伐っておく。

        
 石だらけなので普通の草刈機では刃がダメになってしまう。
 少しづつ前進する。
 丸のこ状の草刈機だと石に当たり刃を傷めてしまう。
 さらには石が飛び跳ねることもあり危険でもある。

                             
 真っ青な空に飛行雲が流れる。
 秋の風がススキの穂を撫でる。
 渋谷ではハロウインで歩行するのも困難という。
 そんな喧騒に邪魔されず、山並みの静かな視線にエールを送る。

        
 連日のように草刈りをしている割にはトラブルだらけだった草刈機の調子はまずまずとなった。
 今朝の寒さは、サツマイモの葉を委縮させるほどだった。
 いよいよ霜が降りてくる直前だ。
 

                              
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