山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

今年初めての桑の実

2021-05-21 22:56:45 | 農作業・野菜

 きょうは一日中大雨だった。土砂崩れがあってもおかしくない大雨だ。そのためか数時間だったが停電ともなった。昨日、雨が止んでいたのをチャンスに桑の樹の周りを草刈りして桑の実を今年初めて収穫する。

      

 久しぶりの桑の実だった。桑の実が完熟かどうかを見分けるのは意外に難しい。実の全体を見ないと赤い実も採ってしまう。しかし、ちょっと見では黒く見える。しかも、完熟を示すように触るとポロッと採れてしまう。これでも、朝の野菜ジュースに入れれば甘い味は確保できる。

    

 樹の周りには赤い実がかなり落ちていた。完熟度は昨年より一週間ほど早いようだ。甘みも6月早々には期待できそうだ。桑の実には、アントシアニンほか鉄分・Ca・K・Mgなど豊富な栄養が含まれている。6月には前々から構想していた「桑の実パーティー」も実現できそうだ。

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マツバウンランにハハコグサの侵入

2021-05-20 22:17:58 | 植物

 茶畑の外縁を見たら、マツバウンランのパステルカラーの薄紫と黄色のハハコグサの群落が迫っていた。今までは農薬を使っていたようでこれらの侵出はなかったが、茶畑作業を停止したとたんこれらのパイオニア植物が出てきた。

                   

 北米原産のマツバウンラン(ゴマノハグサ科⇒オオバコ科)は、1941年京都で発見された。そこから西日本に勢力を拡大し、1980年代には関東に侵出、現在は東北・北陸にも確認されているという。そういえば、むかしはマツバウンランの姿を見たことはなかった。

 現在では、造成地や荒地それに耕作放棄地によく見られるようになった。その群落は遠くから見ると薄紫のパステルカラーを塗り込んだ風景画となっている。同時にそれは、過疎の現実を突きつけている風景にもなっている。つまり、わが家の茶畑も例外ではなくなったということでもある。

               

 マツバウンランの群落のなかに、三々五々の「ハハコグサ」の黄色が目立っていた。古代に中国・朝鮮からやってきた帰化植物のようだ。その意味では、「春の七草」(ゴギョウ)に数えられるほどのなじみある植物だ。高浜虚子の「老いてなお 懐かしき名の 母子草」の俳句もある。むかしの草餅はヨモギではなくハハコグサだった。そのくらい、食生活や薬草としてもお馴染みの植物だった。

 しかしながら、放置するわけにもいかず、雨が降り始める前に草刈りを行う。そこに、ハーブやスミレ類などをこれから植えていくつもりだ。

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己を捨ててしまった日本人の命は消失・蒸発している!?

2021-05-19 20:46:23 | 読書

  ダビンチさんからの課題図書『西部邁最後の思索/日本人とは、そも何者ぞ』澤村修治・浜崎洋介・西部邁(飛鳥新社、2018.5)を読む。弟子でもある澤村・浜崎両氏のレポートをもとに師の西部ゼミナールが始まった。古代から現代までの通史を確認する中から、日本人像の現在を浮き彫りにしようというものだ。

                   「世界の文化が滔々と流入してきた日本はそれ故に文化的多様性に満ちた国であったが、国際標準の波に流され近視眼的な対応を繰り返す中で日本人はすっかりオノレの正体を見失った」と危惧する西部氏。古代から近代までは外来の理屈だけでは表せない日本的な心情にこだわってきた面もあったが、今はぺらぺらと平板になってしまった、と二ヒリズムに傾く西部氏。

                          

 日本在住の作家ロマノ・ビルピッタさんの言葉を西部氏は引用する。「平家の没落について、あれだけ美しい物語を書くことができた日本人が、なぜ今度の大東亜戦争の敗北について、美しい物語を書くことができないのか、しないのか」と。確かにここにこそ、近代後半に失ってしまった日本人の精神世界が示されている。

           

 本書は、随伴者に見える澤村・浜崎両氏が主役で進行していったゼミ論でもあった。難解な論文を駆使する西部氏の生の声を収録しているところに師への愛情・尊敬が感じられる。それも、西部氏が「自裁」したのが2018年1月で、本書の出版が同年5月だから、すでに周りは西部氏の「自裁」は秒読みであることはわかっていたようだ。その意味で、本書は西部邁の最後の「遺言」でもあったのだった。

     

 今日の状況の中での生き方は、西部氏は次の3点を遺している。①人間は不完全であるという人間観を知ること  ②社会というものは一朝一夕にできたものではない。その複雑さ・不条理を知ること  ③人間の不完全性と社会の複雑性ゆえに、変革は漸進的であるべきこと、変化に懐疑的であれということ。

 

     

 西部氏が遺した「常識的な」遺言は、東大全学連の体を張った青年時代をくぐった体験と東大教授や「朝まで生テレビ」で培った思索との終着駅だった。保守主義の論客とは言いながら、左からも右からも孤立し、その結論が「自裁」であるのは日本の損失でもあった。しかしながら、多くの弟子を遺したのも彼の強力な遺産でもあった。

 ダビンチさんの懐疑的な思索が西部氏にますます似ている気がしてきたが、論文ではなかったのでわかりやすかった。課題図書にしてくれたダビンチさんありがとう。

   

 

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裸地に侵出第1号の雑草は?

2021-05-18 22:35:47 | 植物

  茶畑の茶樹を抜根していくと雑草が1本もない裸地となる。そこに最初に侵出する植物は誰だろうか、というのが興味津々だった。というのも、そこの過程は裸地から森林が形成される法則性が見られるからだ。オイラが生きている間はきっと森林はできにくいだろうが、それに近い「遷移」が見られればさいわいだ。

  最初の侵入者は、センダングサの仲間だった。その仲間には、「コセンダングサ」「アメリカセンダングサ」が多いが、周りの例だと、「コセンダングサ」が圧倒的勢力を持っていた。放置していると木のように大きくなり除去するのにはツルハシが必要となるほどだ。したがって、これらの侵出してきた群落は手ごわい「コセンダングサ」と思われる。いずれ花が咲けば確定できる。

        

 二番目に多かったのは、「ベニバナボロギク」の群落だった。茶畑にはお馴染みの雑草だ。花はきれいだが放置すると茶畑を凌駕するほど高くなり、綿毛を大量に飛ばして勢力拡大を図る。コセンダングサもベニバナボロギクも帰化植物の中でも旺盛な生命力を持つパイオニア植物なのだ。はるばるこういう中山間地にまで侵出する生命力は侮れない。今は手で草むしりしているが来年はこれらの駆除に悩まされることは間違いなさそうだ。

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ガクウツギの中庸

2021-05-17 22:40:45 | 植物

 両側が谷の緑の国道を疾走していると、ときおり白い花が林縁沿いに見られる。その多くは、「ウツギ(卯の花)」が見られるが、「ヤブデマリ」の華やかな白い花も散見できる。そんな中、日本原産の「ガクウツギ」(アジサイ科)も見られた。花が「ガクアジサイ」のように装飾花のガクがあり、茎葉がウツギの葉に似ているというわけで、「ガクウツギ」と命名されている。ランダムに咲く姿は統一感がないので、見栄えがアジサイに負けてしまう。

                

 まるで現在の日本のように、自分を主張しないで中途半端な位置から周りの顔色を窺う距離感を保つかのようなネーミングだ。といっても、装飾花のガクは1枚が大きく3枚の大きさも違うという特異な特徴があるにはある。また、本当は4枚のガクがあるはずなのに1枚は退化してしまったらしい。さいわい、有毒なので鹿の食害からは免除されるという生き残り戦略は成功している。

 わが家に到着してみたら、裏山でこのガクウツギが目の前に咲いていたではないか。まぎわらしいネーミングについ名前を思い出せなくなることもある(加齢のせい?)が、この清楚な白といい、香りの強烈さといい、よく見るとなかなかだ。

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モグラかヒミズか

2021-05-16 22:54:57 | 生き物

 和宮様が「モグラが死んでおるようだがだれぞー」とあわてて叫んでいた。すぐに馳せ参じると現場はわが家の入り口すぐのコンクリート敷の所だった。10cmくらいのかわいい死体だった。モグラの大きさは12~16cm、尻尾は短くて1.4~2.4cm。ヒミズの尻尾は2.7~3.8cmというから、見たのは「ヒミズ」らしい。名前の由来は、「日見ず」が漢名で、夜間地表に出歩き、日中は出てこないことから。

 モグラはほとんど肉食の地下のトンネル暮らしだが、ヒミズは雑食性で落ち葉や地下両方の半地下生活。したがって、地上で発見されるのはヒミズが多いらしい。死体の周りには蠅がさっそく群がってきた。それにしても、手のひらで握れるほど小さくハツカネズミのようにかわいい。

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コンニャクを植え付けたが

2021-05-15 22:19:23 | 農作業・野菜

 最近、毎日のようにブルーベリーの樹の根元をことごとくほじくる害獣がいる。その。様子からして、アナグマの仕業だろうと当局は断定している。それがエスカレートして、コンニャクを植えようとしていた畝の黒マルチを破る跡もあった。ミミズが狙われているようだ。

               

 それで、あわてて放置状態だったコンニャク芋を植えることにする。芋の一部が腐りかけたものもあったので、その部分を除去して乾燥させたうえで植える。芋は「2年生」くらいの大きさが数の上では多いようだ。これらはセニョールさんからいただいた種を増やしてきたものだが、イノシシの狼藉で畑が壊滅状態になってしまって急遽掘り出した芋だった。

     

 種を植え付けてから周りを抜根した茶の木で防御してみる。これ自体の効果は期待できないがしかし、ここ数日は被害はなくなった。ブルーベリーの樹の周りにも同じように茶の木で防御したらこちらも被害がぴたりとなくなった。これで少しは学習成果が出てくればいいが。   

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草刈機の始動

2021-05-14 23:38:01 | 農作業・野菜

 しばらくぶりの草刈機の登場だ。といっても、背負い式でナイロンコードの草刈機なのだ。もちろん、チップソーの草刈機は早春に使用したが、金属刃だと石ころのある場所には向かない。そのためどうしても、ナイロンコードのほうがきれいできめ細やかな草刈りができる。

            

 明日は雨が予想されるので夕方あわてて作業に入る。草が濡れると靴も濡れてしまい、それ以上に、「ヤマビル」が出てくる恐れがある。梅雨に入る前に草刈りを終わらせたい。草刈機のメーカーは、「ラニー」という会社だが、今はなくなってしまった。したがって、修理の部品も供給できなくなったということでもある。

            

 10年前くらいに買った草刈機だが、すぐ調子が悪くなったこともあり、部品供給の心配が常にある。さいわい今はなんとかごまかしながらも作動している。メーカーの吸収合併によって部品の確保が難しい。メーカーの系列に関係なく修理してくれる場所が欲しいものだ。

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焚き火を囲んでプレイパークを語る

2021-05-13 22:52:28 | 市民活動・まち育て

 わが家に若いママや夫婦が話に来るというので、山猿さんにまた応援を仰いだ。雨模様だったが、雨でも対応できるよう準備しながら山猿さんにはドラム缶コンロのたき火をお願いした。おかげで、熾火がいつもありまた終日雨も降らず、話にも飲食にも専念?できた。

                       

 山猿さんがスーパーで買い占めてきためざしも焼いていく。熾火が大活躍。コーヒーや昨日摘み取った茶葉を煎茶にして飲んだりしながら久しぶりに語り合う空間がもどる。ふきちゃん夫婦は数年前に移住したばかり。幼児もかわいい盛りだ。子育てしながら「プレイパーク・冒険遊び場」に興味を持ち地元で活動を始めたいという。若いのにガスを使わず、囲炉裏で炊事をしている一徹が頼もしい。

                 

 そこに、以前自然学校もどきの活動をしていた先輩ママもやってきてアドバイスをさりげなく伝える。心配していた雨も降らずにのんびりと交流をしていく。ソーシャルディスタンスも適度にとっているのもさすがだ。

 また、和宮様が作ったタケノコおこわや畑の野菜で作ったサラダもいただく。幼児のピュアな振る舞いにときおり話が中断しながらも、子ども中心の暮しの潤いを実感する。ふきちゃん夫婦をフォローしようとする周りの若いママが何人かいることが心強い。

 

                 

 都会のプレイパークは強いニーズがあるが、中山間地では子どもそのものが少ない。それを実現するにはかなりハードルが高いことは間違いない。その意味で、子どもだけに特化するのではなくて子どもを中心にしながら青年・高齢者・主婦・地域にとっても集まりたくなるような仕組み・支援・地域づくりが必要だという話が出された。

 それ以上に、定期的に持続すること、発信すること、ネットワークを大切にすることなどが明らかになったが、それは若い夫婦にはじゅうぶん理解しているようだった。

 

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ホットプレートで緑茶を作る

2021-05-12 22:37:15 | 食彩・山菜・きのこ

 明日、プレイパークに関心のある方とティーパーティをやることになった。いつもなら焚き火コーヒーとなるところだが、目の前の茶畑が「最後の茶葉を使ってくれ」と叫んだ気がした。そこで、急遽茶摘みをやってみることにした。

             

 「一針二葉」の若葉を摘み取るがもう「一針」がなくなりつつあり、茶摘みのギリギリにあるのがわかった。茶畑は来月で抜根が始まりなくなっていく。だから、茶摘みをしながら「茶畑の茶摘み」はきょうが最後なのだと思いいたる。もっと早く茶摘みを「成就」すべきだったと今更ながら思う。

     

 茶畑との惜別の気持ちをこみ上げてきた。広大に広がる茶畑の風景が来月にはなくなるのだ。フェンス代わりの茶樹は残るので茶摘みはできないことはないが、なにしろ素人管理なので病害虫の発生も起こり得る。だからこそ、先人の管理者が残してくれたきれいな茶畑は今が最後なのだ。そんな感慨にふけりながらバケツ一杯くらいの量の茶葉を摘み取る。

       

 蒸し器で茶葉を蒸す。それをおもちゃみたいな中国産のホットプレートで乾燥させていく。水分を飛ばしながらときどき軍手で熱い茶葉を揉んでいく。湯気が出ている間は水分がある証拠だ。

    

 少しずつ乾燥させていくと湯気がなくなってきた。水分があるとプレートにこびりつきそうだったものがだいぶなくなってきた。しかし、香りもなくなり茶葉の色も紅茶のようになってしまった。収穫してすぐ蒸すべきところが後始末に手間取っている間に発酵が進んでしまったかもしれない。または、蒸すのが長すぎたのかもしれない。

                    

 乾燥が終わったとみて急須に茶葉を入れる。多めに茶葉を入れてみる。やはり香りがいまいちだ。また、味も納得できない。渋みは感じられるがお茶本来の平均値に達していない。今回は初めての挑戦なのでこれからいろいろ失敗を重ねながらも垣根となっているだろう茶摘みは恒例にしたい。それほどに若葉のはつらつさが春の爛漫を呼ぶのだ。数十年暮しを支えてきてくれたひたむきな茶畑に畏敬の念を捧げる。ありがとう。

 

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